随筆|作品評

境界の物語/ASYL観 

鈴木史朗(劇団A.C.O.A 演出家)

 イイナさんに次の企画で映像をお願いするにあたり、まんま今のイイナさんの演出作品と映像を見なければと推断し・・・・・いやイイナ氏が「是非キミこそ見るべきだ」と処断したのかも・・・・『ASYL』を観る機会を得た。

 昨今、ボクも自身の座禅の場として寺に関わったり、寺社仏閣教会にお世話になってパフォーマンスを披露する機会もあったりして、人の気持ちのよりどころ、あるいは実教の現場として、はたまた親しみやすい入れ籠み場などとして「仏寺」への興味はつきないところでもある。だから寺で行われるというイイナ氏の映像はなおさら好奇心を揺さぶられるものだった・・・・・

 割と豪奢なお寺。法要の待機所のような広い畳間が会場。障子戸で廊下と隔ててある空間を横長使い。舞台床は真っ赤な毛氈を横に長く渡し、客席に向かい真ん中に高座。で、そこにかけられた派手なピンクのパイル生地に戯笑。寺門から続いてきた厳容で善美な気分に亀裂。「ハハ・・・これ必要だね~」とボク桃色のフェイクファーに向かって最前真ん中に坐し付和敬屈する気分。他満席なのにボクの両脇に客がこれ以後来なかったのは・・・きっとこの桃色ファーが度を越えてキュートだったから。障子部屋の粛然さと端厳な畳間の匂いの中、ばつ悪い感じに桃色フェイクファー。しかも端の断ち方は買ったまんま。ピシャっとならぶ障子の目の前にヨレッと甘い断裁のフェイクファー。もっとも不釣合いな現場にフワッと置かれたフェイクファー。まるで逃げ場を求めているようで可憐なフェイクファー。いい加減な意の加減。劇前の静止画でボクは「ASYL」の感触予感したの。
 で、そろりと現れる三味線・小唄の西松布咏さん。先ほどの桃色のパイルの上に向かう。当然高座のように用意された場だから当たり前のように壇上にあがるのだけれど、素知らぬ感じで艶やかに足を運んでいく姿が清々しい。異ジャンルの人同士の競演企画の場合ボクが楽しみするのはこういう瞬間。他人の領域に立ち入る瞬間琴線のようにふれてしまう触感に感興が動かされてしまう。先ほどの桃色のフェイクファーにつと沈む足袋の白さと静けさ鮮明。ハハ最前列の強みですこれ。妄想観覧癖全開。
 しなやかにピンクフェイクファーの上に正座して三味線を抱え遊郭のエピソードを語って聞かせる様子温柔、唄のよさを越えてまんま品のいい遊女の姿に見えて驚嘆。なかでも、遊女が客と関わる前に煙草を交互に吸うのだ。というエピソードの小話後の煙管さばきが見事で感嘆。艶道に則った煙管遣いが場を整えていく。それまで気にしなかった畳の目やら障子の桟が、遊女達のみならず女性達の尊厳を保ち穏やかにかくまう結界のように見えてきて・・・・艶情を紡ぐ煙管に、逆に境界張られた気がして・・・・視覚妄想全開。

 すると恋愛の物語はいつも境界の物語 貴賎性別諸々関わらず…境界の物語だと曲解したもんだからますます、障子の枠畳の縁板目またまたジャンルを跨いだときの礼節にホント深い色気が宿ることよのぉと、アホみたいな殿様気分にひたりつつ眺めたみはるかす結界の眺望の先には・・・・・「エーッ」って風体の異質なハンパもんが入り込んできて愕然。存在感淡々しい上、舞台真ん中においてある桃色フェイクファーとハンパ感だけ類似。例えば新宿の桃色フェイクファー嬢にまとわりつくヒモ志願のいいかげんなチンピラみたいなのがいい加減な足さばきで畳の目ちらかし、いい加減な障子のあけ方、顔真剣。しかし、ボクまた戯笑。「ハハ・・・コイツ必要だよね」とまたまったくもって同意。だってここは「ASYL」だったから。
 縁切寺に逃げ込んでくる女のイメージかしら涙顔で煙草を燻らす映像素敵。でもこのチンピラのせいで泣いてるのではなかろう。チンピラは雑踏の一部かもしかしたら心優しい幇間か道化だと無駄な思考。あけた障子のむこうから高尾太夫よろしく、ダンサーの寺田みさこさんがおでましチンピラ傅いて迎える風体。傷ついたイイ女の周りには必ずこういう男がまとわりつくんだよホント・・・・物語妄想全開。

 西松さんの結界をグニャリと歪めていくような形でダンスが紡がれていく。静かで柔らか、かと思えば煙草ヨコっ咥えみたいな風情の蛮女ぶりで場を埋めていく。遊女のイメージらしい和金魚の映像が流れて美しい。「煙草」と金魚の映像の組み合わせに先頃死んだピナ・バウシュのオマージュでもあるのかしらんなどと深読みしすぎたりして距離喪失。けれど終劇間近、障子格子の端から覗き込みながらの西松さん流のヘレン・メリルの見事なカバー曲(なんだっけ?タイトル喪失・・・したけれど。)でゆっくり「劇」との距離が保たれてきて終演。終焉。終縁・・・・・思いや境遇を踊りやら語りに紡いでいくこと音化していくことは虚構とうつつの間を忍んで生きる芸者や幇間やらの礼節だったのだと強く実感。

 「DANCE×MUSIC×MOVIE」という趣向そしてモノガタリでもあるという前宣伝のチラシをあらためて見ながら「モノガタリ」ってのは我が身にいつも潜んでいて、「劇」やら「踊り」やら「映画」なんかの趣向に引き出されて勝手に飛び出してくるものであるよな~と考えつつ電車に揺られて帰途。
 意識下に潜む「モノガタリ」に触れ交感するべくボクも舞台に挑みたいものだ~と改めて考えたり、今回の「ASYL」を囲む障子格子の折り目正しさ思い出したり、窓の向うで麗々しい庭の景色なんだかやけに不釣合いに感じて面白かったことやら、「實相寺」って会場の名前からムカシ学校で習った斉藤茂吉の実相観入のことなど連想までしちゃって眠れなくなり、帰って面壁座す。

(2012年1月)

鈴木史朗
http://officehisago.com/
主宰・演出家1971年生まれ。法政大学在学中演劇活動を始める。劇団SCOTに入団し俳優として舞台に出演。1999年劇団A.C.O.A.を旗揚、以後全作品を演出し自らも俳優として舞台に立つ。
独自の綿密な呼吸法、特異に練磨された肉体に支えられる舞台空間は、美醜、哀楽が渾然となる、今能(いまのう)と名づけられた、鈴木独自の生命賛歌である。
2000年オフィス瓢を設立、他分野で活躍するアーティストとのコラボレーションを始めさまざまなイベントを企画し、舞台表現の可能性を探求している。
A.C.O.A. 代表・演出家
オフィス瓢 代表 
演劇人会議 会員