Interview
Peter Chin / part.1

聞き手/飯名尚人、田村洋 [Dance and Media Japan]
12 AUG 2008

路面電車の中で不思議なダンスをする東洋人。これが、ビデオダンス作品「ストリートカー」をジャカルタのビデオダンス祭「danc(e)motion」で初めてみたときのピーター・チンの印象だ。本人はジャカルタの映像祭に来ていなかったので会うことが出来なかった。その作品は強烈で、作りこまれた映像と演出。即興性のあるダンスや音楽。なんともいいがたいダンス中の恍惚の表情。作品の舞台はトロント。どれをとっても不思議で、オフビートのコメディー映画を観ているようだった。あまりにも気に入って、日本で開催した2006年の国際ダンス映像祭で上映したところ大好評だったためDVD化して販売することにした。
販売のために何度かプロデューサーとやり取りをしたものの、ピーター・チン本人と会う機会がなく、メールで少し情報交換した程度。そのピーター・チンから「モンゴルの帰りに東京に寄るから、会えないか?」というメールをもらい、インタビューさせてもらうことになった。
(飯名尚人)


ストリートカー』ダイジェスト

Q:ビデオダンス作品「ストリートカー」はどのようにできたのですか??

Peter(以下P):映画制作者のNick de Pencierと一緒に仕事をしたつながりで彼とは交友があり、なおかつお互いの仕事を高く評価していました。彼は私の踊りと振り付けを取り入れた映像作品を作りたいと考えていて、ストリートカーのコンセプトを思いついたんだ。私の作品は以前、"死"についての作品が多かった。それは人々の死に対する考え方をユーモアに時にはシリアスに描いた作品でした。私はビジュアルアーティストでもあるので、一連の写真にしました。パリでの”死”、ベニスやロンドン・・・での”死”。エッフェルタワーやルーブルで死についての写真を撮ったのはとてもおもしろかった。

それで、私たちはダンスを通して"死"についての概念をどう見せたらいいのか考えたんだ。それが、『ストリートカー』の元々のアイディア。
『ストリートカー』の中で何らかの変化に直面するシーンがあるんだけど、その変化というのがまさに"死"だった。
だから、冒頭の医者が登場するシーンで、医者が私に「君は、あと2ヶ月しか生きられない」みたいなとても何か悪い事を言うシーンがある。
私にとっては、非常に仏教的な死であり、あるいは、何らか門を通り抜けるのは非常に脅迫的なものです。ダンサーは時々モンスターや神社にいる仁王のようだから。
ですが、最後は非常に平和的で平穏になり、なにが起きても受けいれるのです。これが『ストリートーカー』の主題でもあります。私が個人的に関心を持っている事でもあるんです。



Q:ほとんどがロケでの撮影でしたね?大変でしたか?

P:難しくはなかったです。ちょっとお金がかかるけど(笑)。もし資金があるなら全然大変じゃないですよ!!
ニックは資金を集めることができて、トロントの運輸協会に行き1晩ストリートカー(路面電車)を借りることができたのです。それで、我々が撮りたい場所に行く事ができたし、非常に楽しかった。ストリートカーの中で僕たちが踊っているのを、外から皆がみているのです。それに、電車は止まらないし、彼らは電車が通りすぎるのをただただ見てるんだ。
これには大いに笑った。それはもう非常におもしろい時間だっだよ。

Q:リハーサルはどのくらいかかりましたか?

P:うう〜ん。リハーサルね。作品をみてわかると思うのだけど、私のリハーサルは非常に多くの細かな段階がある。動きを作り、その振り付けを正確に動くのに3週間かかりました。なぜなら、見たとおり出演しているダンサーは、すべて典型的なダンサーではなかったから。
それは私が人種や年代が違う人たちをほしかったからなのです。それに、この作品では、いわゆる”ダンサー”は使いたくありませんでした。
"普通の人"が欲しかったのです。それで、リハーサルは皆が動きになれる時間が必要でした。



Q:どうして映像が好きなの??

P:そうですねぇ・・・おそらくみんな映画が好きだよね(笑)。それは20、21世紀において重要なメディアだからね。アーティスト達も同じように感じて多くの映像作品を作っている。それはダンサーもしかり。なぜなら、ダンサーはエンターテインメント以上のメッセージを伝えることができると考えたからなんだ。ほとんどの人は映画というものを、ビデオ屋やハリウッドなどとしか見ていないし、ただの娯楽としか捉えないかもしれないけど、映画は芸術作品です。 だから非常に特別であり、20、21世紀においては、我々の世代においての媒体なのです。


Q:「ビデオダンス」と「舞台のダンス」との違いはなんですか??

P:振付家が映像のために振り付けをし始めた事がおもしろいね。ダンスとダンスの見せ方についての考え方が変わってきたんだと思う。
映像というのは、ステージがあってどのようにパフォーマンスするかが決められた舞台芸術とは違う。 いつでもどこでも、自分のパフォーマンスができる。ビデオダンスは、ダンサーと振付家と製作者のコラボレーションだと僕は考えているよ。もし良い製作者ならば、ダンサーの振り付けも良いものになる。撮影では、ダンサーやアーティスト、製作者との間にダンスでなにができるかという理解がお互いにないといけない。ダンスを記録するだけならば、それはまるで違うダンスになってしまうから。ビデオダンスには多くの段階があって、「動き」、「アイディア」、「コラボーレーション」。この3つが重なっているからおもしろいんだ。

   
映像作品 『ストリートカー』の1シーン。

Q:コラボレーションの作品はどのように作っていますか?

P:それぞれに違うとはおもうけども、ニックとの場合、彼は以前に多くのダンスを撮っていたのでダンスというものを理解していたんだ。もちろん、映像は彼の専門だった。そういうわけで彼は映像とダンスの2つを同じ位置においてアイディアを考えられるんだ。それで、お互いのアイディアを出し合ってコラボレーションするのです。
例えば彼はリハーサルにきて、振り付けを見る。それで”これをやってみよう!!”と言い、彼は小さいカメラ持ってきて実際にやってみんなで見るんだ。我々はそこからアイディアを得る。彼は製作者としてもリハーサルに参加して、彼のアイディアを試したり、私も同様に振り付けを試すのです。
る事。僕がここで踊っていたらカメラはここで、カメラがこっちなら僕はここを見て・・・とか、エネルギーの伝え方を学ばなければならないんだ。
それは非常に興味深くて、カメラは画像を捕らえるだけではなく、感覚やエネルギーを伝えることができる。実際そういう出来事を僕は見た。
映像を見ている人も、カメラやメディアを通して、パフォーマンスのエネルギーを感じる事ができる。

それに僕は「メディアの中の身体」に興味があって、映像ではそれは見ることはできるんだけど、アーティストや製作者、ダンサーはそれをどうやってとらえるかを知る必要があるんだ。


Part.2に続く・・・