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Umbrella
04'15"
アーティスト:岡元飛夏
キュレーター:百瀬賢一
監督・編集・出演 岡元飛夏
撮影・整音 百瀬賢一
この映画を観る時の実際の天気によって、見方を変えてみてほしいです。もし悪い天気なら悲観的に、良い天気なら楽観的に、一つ一つのシーンを捉えてみてください。
Umbrella
04'15"
Artist: Hinatsu Okamoto
Curator: Kenichi Momose
作品解説
アーティストの岡元飛夏とは昨年の大学入学時から良く行動を共にする仲です。出会った当初から見た目も性格もふあふあしている性格でした。多少の心配性の面もありますが、大学の授業や活動に対しては真面目に取り組んでいて、周りよりも一足先に考えて行動していることが多いです。またグループで1つの作品を時間を予め決めて制作するよりも、1人で撮りたい時に自由な時間で制作する方を好みます。その性格が過去の飛夏君の性格にも表れていて大きな筆でバケツを壊したり、家の近くの公民館に飾ってある七夕を撮ったりなど自由な発想で制作している作品が多いです。
みんなの作品の講評が終わった後に岡元君を入れた複数人の友達で、今日観た作品についてそれぞれ好きに語り合う場が大学生活の中で私は一番好きな時間です。作品について話した後は、終電の時間か疲れるまで雑談をしている生活を1年間送ったので、お互いの事は殆ど知っている仲になりました。しかし1つだけ、飛夏君の過去については私含め他の大学の友人もそこまで知りません。それは飛夏君自身が話したがらないので私達も無理に過去を詮索出来ないからです。ただ飛夏君は自身の過去について、暗黒の1年間と言ったり気になるワードだけ話してくるので私達はとても知りたいと密かに思ってます。
今回の作品はその飛夏君の過去を記憶を傘という媒体を利用して振り返りながら「ロード」して、映像を身体の感覚を通して体験して頂く作品となっています。今回の制作では晴れの日と雨の日の両方で撮影したり、飛夏君の家の近くにある公園や道路、公民館や森を巡りました。なので撮影した映像素材は作品で使用したもの以外にも沢山ありますが、撮影後に飛夏君が傘を通して一番深く「ロード」された記憶を作品にしています。
私はカメラを通して、飛夏君の思い出のある場所を巡り会話をしながら断片的な記憶を撮影していきました。私にとって全て初めて訪れる場所でも飛夏君にとってはなじみ深い場所なので温度差がありました。そうゆう2人の違いを身体で感じて制作しました。音に関しても過去の記憶なのでその場で録音した素材だけではなく、別に録音した音も混ぜながら現実とは少し感じ方が違うように整えました。
今回の制作では普段の大学生活でいつも話したがらない飛夏君の記憶の歩みを、私自身が少しだけ沿って行くような体験でした。
I have been a good friend with the artist, Hinatsu Okamoto since we entered university last year. From the first time we met, he was fuzzy both in appearance and personality. He worries too much now and then, but he takes classes and activities very seriously and often thinks and acts a step ahead of the others. Rather than working in a group to create work at a prearranged time, he prefers to work on his own. This is evident in Hinatsu's personality in the past. He created many works with his original ideas, such as breaking a bucket with a large brush or taking pictures of the Tanabata festival displayed at the community center near his house.
My favorite part of my university life is when, after critiquing classmates' work, we get into groups of friends, including Okamoto. We talk about the films we saw that day. After talking about the films, we spent the time chatting until the last train ride, or until we were tired. We've done this for a year, so we know each other well. However, neither my friends at the university nor I know that much about Hinatsu's past. That is because Hinatsu didn't want to talk about his history, and we can't force him to talk about it either. However, Hinatsu tells us fragments of his past, saying that there is a "doomed year" in his life, which we are curious about. We secretly want to know about his past.
In this work, we used the umbrella as a medium to look back at Hinatsu's past and "download" his memories. This makes you able to experience his past through physical senses. This project was filmed on sunny and rainy days and visited parks, roads, community centers, and forests near Hinatsu's house. We shot a lot more materials than what was used in the film but made the most profound memory of Hinatsu "download" through his umbrella after the shooting.
Through the camera, I traveled to places Hinatsu had his memories and conversed with him to capture fragments of them. Even though it was the first time for me to visit all of these places familiar to Hinatsu, there was a gap between the two of us. I felt the gap through my body. The sounds are meant to be a past memory. So I mixed the material recorded on the spot and different sounds to make the piece feel a little distant from reality.
In this project, I was able to follow the steps of Hinatsu's memories, which he is usually reluctant to talk about in his everyday university life.
作者から・・・
この『Umbrella』は、「身体」と「傘」、それらを絡めて私自身が連想した「断片的な記憶」を呼び起こすようにして、制作したショートフィルムです。
この作品の一つの試みとして、ゲームのように記憶を「ロード」していくようなイメージを、アニメーションで表現した事が挙げられます。人間が記憶を呼び起こすという作業を、この作品を観ている人に強く印象づけたいと考えたとき、同じ事がコンピュータが記憶媒体からデータを復元する「ロード」で行われていると思ったのです。傘(この作品における記憶媒体の1つ)を開いてくるくると回す動きと、ゲームのロード中によく見られるぐるぐるしているアイコン。そこから連想して、ゲームのロード画面のようなアニメーションを取り入れ、この作品の一つ狙った試みとしました。
小学低学年の頃、私は友達と2人で下校していました。すると下校途中の川沿いで、その友達がいきなり私の傘を川へと落としたのです。当時の私には衝撃的な出来事だったのでしょうが、今となってはその記憶も曖昧なものです。しかし、毎年梅雨の時期になるとふとその出来事を思い出します。あの時の天気は晴れ?曇り?それとも雨? 友達は笑っていた?怒っていた?もしかしたら悲しんでいた? でも、1つだけ鮮明に覚えています。傘を叩かれた時、肌と肌が触れたこと。強く叩かれ、とても痛かったこと。
過去の痛みを頼りに、「身体」と「傘」とで触れ合ってみる。そこから連想された「断片的な記憶」をご覧ください。
作家プロフィール
岡元飛夏
1999年神奈川県生まれ。
東京造形大学 造形学部 デザイン学科 映画映像専攻領域 二年。
一般公開する映像作品としては今回の『Umbrella』が初めてである。
普段は主に映像と大道芸とを合わせたパフォーマンスの自主制作にあたっている。
パフォーマンスサークル「GLAMOUR」部長。
2020年の 10月には「 GLAMOUR」としてオンラインでのライブパフォーマンスを開催予定。
GLAMOUR公式Twitter→ http://twitter.com/@GLAMOUR_zokei
GLAMOUR公式instagram→ https://www.instagram.com/glamour.club15/
批評
大星悠斗
東京造形大学デザイン科映画映像専攻領域2年
世界で一番有名な映画本『映画術ヒッチコック/トリュフォー』の中でヒッチコックは、サイレント期から映画を制作し、純粋な映画的手段を追求していた為か、トーキー映画を “photographs of people talking”(しゃべっている 人間の写真集)であると呼び、嘆いていた。 何か言いたいことを印象的なヴィジュアルの絵によって、視覚的に訴えることが出来る。映像を学ぶ者にとっては、その可能性を探求していかなければならいだろう。 この『Umbrella』という作品には、セリフは無い。だがグルグルと回るアイコンの横に文字が書かれている。これはサイレント映画のカットタイトルによる字幕のようにも見え、それに限りなく近い作品となっている。しかし、この作品は音が特徴的である。水が泡立つ音、 その水の中で聞こえる誰かの溺れている声など、それらが映像の心像喚起力を増幅させていく。この溺れている人の声は一体誰なのか。監督である岡元飛夏が実際に溺れている人の 声を聞いた記憶なのか、彼自身が溺れた記憶なのか。または、その記憶を遡る上で蘇る「痛み」を表現しているのだろうか。そうこう考えていると、突然どこかの小さな池とそこに架かる橋に、傘を持ち佇んでいる人のショットになる。そのショットと赤い傘のクロースアップのショットが重なり合っている為、かなり印象的である。赤い傘のクロースアップよって画面全体が赤になり、それによって傘が緑生茂る空間の中で存在感が増し、視覚的なインパクトが強まる。最後のショットは、緑に囲まれた一本道の奥に赤い傘が開いて置いてある。その傘の中から人が這い出て来て、身体表現が加わる。映像表現と身体表現を融合させ、彼自身の過去(本人は自身の過去について暗黑の一年と言っている)に臆することなく、真摯に向き合っているように見える。過去にあった様々な複雑な気持ち、思い出を映像と身体によって蘇らす、と同時に過去のわだかまりをそれらに昇華させ、「痛み」を軽減させようとしているのではないだろうか。「映画、映像とはまず何よりもヴィジュアルである」とこの作品を観ただけでは断言出来ないが、通常のセリフやストーリー構成以上に映像表現(言語)の可能性を考えていかなければならない。
池内聖司
多摩美術大学美術学部彫刻学科3年
昨今の情勢の中、他者との交流が難しくなっておりますが皆様はどうでしょう。 近頃はそういった断絶された社会の影響もあり希望を前面に押し出した作品が多く存在するが、『Umbrella』は現状の社会への訴えを含みつつもあくまで自然な姿で 観る人に現状を語りかける作品であると言えるでしょう。本作品は雨という自然現象とその影響を受ける人物の関係性を現在の人々に見立てた作品であると思われる。作中の雨の滴り落ちそれを受け止める。その当たり前の現象に発生するノイズ。その後に映る雨の中一人佇む人物。またこのときに流れる溺れているかのような誰かの声。これは現状の当たり前のことができない息苦しさ、孤独を示唆しているのだろう。そう考えたとき最後のrememberという文章、終盤の晴れてる天気の中一人で傘を持つマスクの人物、序盤のモノクロで回転する傘は、人との繋がりが過去のものになっている現状。希望を持ちつつもどうなるかわからない未来への不安といった意味を持つのではないだろうか。『Umbrella』は本作品単体では完結しない作品。マスクの人物はいわば私たちの現在の鏡写しとも言える存在です。視聴するあなた方が彼の残したキーワードと映像から連想することで皆様がなくしてしまったものを探し出すのです。皆様も今の世の中で「忘れてしまった物」あるのではないですか? 作者本人の人となりを知ってるからこその感想になりますが、岡元飛夏氏がパフォーマンスなど他者との交流を重んずる人物である事を知っている身としては彼の映るシーンがより切なく見え、なんとも言えない気持ちにさせられる作品ですが、同時に人との交流を重んじる彼らしい他者が存在するからこそ完結する作品であると感じる作品と言えるでしょう。