Noise of Fractures
14'42"
Artist: Wendy
作者から・・・
一人、一つの夜の話
A person.a story of the night.
作家プロフィール
WENDI
1999年 中国重慶に生まれ
2015年 日本に留学
2018年 東京造形大学に入学
映画映像制作を勉強しています。人と社会に関わる作品を作りたいです。
作品解説
出演・振付 青い睫毛
ダンスをするときに考えていたことは、椅子と付き合うというとき、日常生活で見慣れている友人、恋人、家族のような存在として捉えるということだった。部屋にある白い布は、共存しなくてはいけない柔軟な絆だ。そこから抜け出したい一方で、その中に身を隠さなければいけない。それは部屋で温存しておけるただ一つのことだから。時に、白い布との関係性は、椅子とよりも親しい。布は形が固定されてないもので、肌と完全に触れ合うことができて、お互いのすべてを感じられる。最初は椅子みたいな具象に身を寄せたかったが、だんだん白い布の意味に気が付いてきたので、それを受け入れた。椅子に触ると同時に、布は椅子に纏わって抱きしめる。そのことが、今の現状との和解だと感じたのだ。
要说在舞蹈的时候我想了什么,我把椅子视作一种陪伴,房间里的白色纱布是一种不得不与之共存的柔软羁绊,我想挣脱它,又不得不躲在它身后,因为它是在房间唯一能够感受到温度的东西。我与之的关系甚至比我与椅子还亲密,因为它可以完全贴合我的皮肤,我们能够完全感受到彼此的所有。一开始我更依赖于椅子这样的有形的东西,或者说形态固定的,像朋友,恋人,家人这样的关系。可逐渐我也理解到白色纱条的存在的意义,我抚摸椅子,与此同时将它缠绕在椅子上,再将它抱紧,某种意义上来说是我和现状达成了和解。
照明・音声 Hal Xing
この作品で重要な一つの面は、主人公と、部屋の空間やインテリアとの交流、付き合いである。
この半年も経っていない間に、多くの人々にとって、その部屋と自分との関係は大きく変わったと思う。部屋というものは、世界から自分の身を隠せる場だったものが、世界の主役になった。
自分の視点から、世界から部屋、部屋から肉体、肉体から意識がレイヤー状で相互に影響する形になっているかもしれない。内部レイヤーが外部に影響され、内部の認識できる範囲も外部の範囲を超えられない。電子情報が図像や音声などの形で人々に外界に接触している錯覚を与えているが、それは真実とは言えない。物理的な接近は不可能になってしまった。我々は、部屋に束縛されている。とは言え、それも身の回りの空間と相互に再認識して、関係を結ぶ機会にもなった。
この映像のメインキャラクターにもこういう矛盾があると思う。彼女も外部の世界で、誰かへ会うことや、どこかへ行くことに憧れを持ち始めた。しかし、一晩で身の回りの空間が非現実で夢っぽいものであることを発見した。彼女はその空間と付き合い、相互に変化し、それから現実に戻っていった。
我想这部作品很重要的部分是主角与房屋的空间以及内部的家具,装饰品等的交流与交往。
近来不过半年时间里,房间对于人们的意义发生了变化。房间从世界中一个私有的可以隐藏自己的场所,变为了世界的主要部分。
从我的视角来看,世界对房屋,房屋对人的身体,人的身体对人的意识形成了一层一层互相影响的结构。内部的层级被外部影响,内部的认知也局限于外部所能提供的范畴。电子信息以图像或者声音的方式给人以时刻可以接触外界的错觉,然而这种接触终究是虚幻的。本以为可以替代的物理上与某人或者某地的接近突然变得稀有甚至不可得。我们似乎被束缚在自己的房间中,然而这也给了我们与自己身边的空间重新互相审视,重新建立关系的机会。
我想本片中的主角就有上述的矛盾——她开始向往外界的世界,向往与某个人的相遇,然而又在一晚重新发现身边空间突然具有了的梦幻而非现实的性质。她和这个空间互相交融,改变,直到回归日常。
監督・撮影・編集 WENDI
外に出られない日々に、友達から暇つぶしとして、家で音楽をかけて踊る、ということを聞いた。その時、私は自由に踊れるのはとても幸せなことだと思った。だから私は、家で踊り出すシーンを構想した。最近、私は常に、元々存在しない人と人、人と空間の距離感は私の生活を侵略している感じがしていた。その距離感を表現するため、空中に白い布を垂らした。次に、私はどういう環境で人は自然に身体を表現できるのかを考えた。その結果、家にミラーボールを飾った。ミラーボールに反射する光は、この空間の質感を変え、人の心境も変えた。当初は、ダンサーがミラーボールに回って踊るイメージだったが、撮影した結果、このミラーボールはここにあって、神性のシンボルのような存在となった。しかしこのミラーボールは空間は変えたが、空間の一部にはならなかった。撮影後、ミラーボールが綺麗に思い、ずっと家に飾り続けた。ある日、ミラーボールが急に床に落ちてきた。不思議な感じがした。「綺麗なものでも落ちる」と思って、自分の心にあるものを壊したような感じがした。このシチュエーションをラストシーンに入れた。
在不能出门的日子里,从朋友那听说她在家里关的无聊时会自己放歌跳舞,不会跳舞的她放着音乐很自然跳起来,那时我忽然觉得能够自由的舞蹈身体是一件很幸福的事情,所以我的脑海里便有了一个在家中起舞的场景。在最近我时常能感觉到原本不存在的人与人人与空间的距离感侵蚀着我的生活,为了表达这种距离感便在家中悬挂上了布,当决定好这些后我再次重新思考,一个人究竟会在怎样的环境里才能自然的去表现自己的身体,所以说我让旋转的球突然出现在了家里,它所折射的光改变了这个空间的质感,也改变人的心境。最初我设想的是舞者围绕着球舞蹈,可拍摄下来发现,它出现在这里,就像是某种神性化的符号,这个球的存在仅仅只是改变了这个空间却没有成为这个空间的一部分。拍摄后因为觉得球很好看,我便一直把它挂在家里,有一天球掉到了地上,看着那个球我觉得很不可思议,一瞬间闪过那种的想法是,这么美的东西居然也会掉下来。我心中某种向往寄托一样的东西被打碎,于是我便把这个场景放在了影片的结局。