What I see
05'05"
Artist: Takaya Suda
Director Edit Camera:Takaya Suda
Cast:Kana Ishida
作者から・・・
無音の映像
死というものは過去になってわかるものである。そして、その死を認識できるものは他者でしかない。眼前にある死に対して私は、「生きている」から網を投げようと試みた。そこで回収されていくものは捉え難い、掴めずとも風のようにうごめく何かだった。一人の若手の歯医者のインタビューを通じて、彼女の病院での研修時代に亡くなった一人の女性の記憶を掘り起こしながら、撮影を行いました。彼女の言葉や身体に現れてくる何かを無音の映像の中で感じてもらえたらなと思います。
Silent images
Death is something you understand once it's passed. And the only death you can recognize is that of the others. I tried to catch the death in front of me, as I am "being alive". What I found there was hard to grasp, it was squirming like the wind. Through an interview with one young dentist, the film is about uncovering the memories of one woman who died during her training at the hospital. I hope that you feel something in her words and her body as it appears in the silence of the images.
作家プロフィール
須田貴哉
1997年生まれ
群馬出身高校卒業後フィリピンに短期留学後(2017)、東京造形大学へ入学(2018)
家具作品/「うつり」(2018)「記憶する家具」(2019)
インスタレーション作品/「照応についての考察」(2019)「Red acrylic ice」(2019)ZINE/「たまたま。」(2020)
Creative Shower Zine Fair 2019にて設営を担当。
mail: t.suda498@gmail.com
instagram: takaya_999
対談 山崎未樹 × 須田貴哉
山崎未樹 - 東京造形大学映像専攻所属。この「身体を巡る映画祭」に「fr(l)esh」を発表。彼女が作り出す作品の中で大切にしていた「身体的な“鮮度”」に対して私の作品に親和性を感じ、対談をお願いした。
貴哉:あの作品のあの女性って、バレエダンサーだったの。それで今は歯医者になってる。その女性の中の医療現場で亡くなった一人の女性の死を拾って行くんだけど、それで患者からもらったバンダナをモチーフにして踊ってもらったんだよね。一回即興でバレエダンスしてもらって。その映像も良かったんだけど、その後のインタビューのがすごく良かったのだよね、その鮮度というか、すぐその人のこと思い出してくれたんだよね。10分くらいダンスしてもらって、多分ダンスしている間にその人と対話していたらだと思うんだけど。それでその人の顔一部分を移しながら、その人の目は思い出せる?とか口は思い出せる?とか部分的に聞いていって、その口は思い出せる?って聞いたときにその人は歯医者だったから患者を口の中で覚えているらしくて、僕はそんな違うんだーと思って。それでその後にイメージカラーってある?って聞いたら「あ 思い出した、サーモンピンクの口紅が似合う人だったわ」っていったときにその言葉にすごく鮮度を感じたんだよね。その日撮ってきて死に対しての鮮度があったのがその言葉だった。それが僕の中で強すぎて、言葉と表情が。それで何もそのままの状態をうつすだけでいいんじゃないかと思って、インタビューで撮った映像を作品にしようと思ったんだよね。本当はダンスの映像を撮ろうと思っていたんだけど、結局全然違うものになった。
未樹:あの右側の映像って最初から入れようと考えてた?
貴哉:あれは、最初から2画面でやろうと思っていて。一人に対象を当てているんだけど、なんかそれが無数になんだろうな、流れるように存在しているっていうまあその橋の入り口の風景をとっているんだけど。その友人と患者が出会ったのは沖縄で、その友人は御茶ノ水の大学通っていて、その後に沖縄の病院で研修したんだけど。その患者もお茶の水にかつて住んでいたらしくて、よく二人でお茶の水周辺の話をしていたんだって。
未樹:じゃあ二人にとって意味のある場所を写してたの?
貴哉:右の画面の写している場所は関係ないんだけど、場所は御茶ノ水がいいのかなと思って撮影場所を決めた。演者の友人もこの場所だからなんか想いを馳せられるともいってたから良かったのかな、うーん、右側の映像の意味ね、、、。
未樹:あの映像を見ていると、なんていうか有為転変というか。うーん。なんかすごい、一定に止まらないじゃん。通行人がたくさんいて、画面がおんなじ状態じゃなくて、ずっと動き変わっていて、リアルタイムで見ているような感じがして。ずっと進み続けている感じがした。死んだり生きたりしているのは繰り返されていて、その一部を見ている感じがあの映像からしてた。左側の女性をずっと見ていると、いつの間にか右側で違う人がいるし、右側をずっと見ていたら、左側の女性を見れないし、同時でパッと見ることはできるんだけどどっちかの映像をいていると、他方は見れない。だから、それがなんていうんだろう、生きていることとか死んでいることを感じた。
貴哉:死ぬことって結構、すごくもう死にますみたいな感じで死ぬ人、僕の亡くなったおじいちゃんが衰退死で、入院している時は結構延命されててそこで初めて生きている人を見て初めてあ、この人死ぬんだと思った。そういうのもあるし、圧倒的に多いのはパッと死んでしまう人。死っていうのは自分で決められることではない。死は他者しか認識できないっていうのは、自分できめられないってことなんだけど。なんだろうそれを映像詩的に見る観客にそのニュアンスを感じてもらえればいいなと思って画面作ってた。だから2画面っていうのも。
未樹:死を認識でいるのは他者しかいないっていうのも読んでからもう一回見たんだけど。生きているから私は。生きている私は他人の死を目撃できるというか。作品の中に映ってた人はみんな生きていたけど、ある意味でそっちの死というのも感じられるというか
貴哉:あ、確かに、そういうことか、そういう点でも、生きてるから投げてたんだな、右の映像に。生きてるから生きてるに投げるんだけど。
最近の三浦春馬の自殺も衝撃的だったね。自殺っていうのは結構自分の中でも大きな問題だし、日本社会的にも大きな問題だと思っていて。なんで僕が死をテーマにしているのも、近いって感じているからなのかな。あんまり死をネガティブに考えたくないというか、、、。
未樹:この作品って無音じゃん。イヤホンを通さなくて良くて、だからその作品に対して、フラット。機械を通してない感じ。自然体で見れる感じがして、すごく良かったなって思った。あとなんか、ずっと無音なのに、最後に二行だけ文章が出てきて、すっごく気になっちゃって、もう一回見ちゃった。あのセリフって一回じゃわかんないその女性が語ってた人について知りたくなる二行。
貴哉:俺にとって一番興味をそそられた二行。全部インタビューをうつしてもいいんだけど。その二行だけ置いて見せるのは結構自分の中でもどう観客がとらえるのかっていうのは実験的というか興味があるところ。
全然意図してないんだけど、いや意図してたのかもしれないけど、あの映像の白黒の中でのサーモンピンクっていう言葉が出ることによってハレーションが起きるというか、色彩はないんだけど、脳内で映る色というか。
未樹:すごい想像したサーモンピンクを。その瞬間はカラーだったな。
貴哉:それすごくいいね!それ結構大事な要素。最後に色がパッと見えるというか。語っているその人を疑似体験する上で。その人が見ているサーモンピンクの口紅の色を想像したのと、似たような感覚というか。でもそれは人によっては違うけど、でも思い出すときのそういう色って色の距離感というか、うまく言えないんだけど、その最後の二行からモチーフもらって映像作っているから、やっぱりその二行に影響されているのかも映像は。結果そうなっちゃったんだろうね、意識させられるように。だから中盤の口だけの映像の時にこの言葉は喋っていて、なんでずらしたかっていうと、なんか口の最中にこの文章を置いたら、その人の唇に行っちゃう。部分部分をうつしていく中で口も入れて認識させておいて、最後に言葉を出した方が、その人の脳裏に思い浮かぶ映像がすっと現われやすいかなと思って最後に二行つけた。
未樹:あの二行のあとすぐ終わるから、考えさせられるというか。歯医者さんが思っている人は想像できないから、人によって違う人を想像するだろうね。
貴哉:死んでいる人をうつしてないから、一切登場してないから。文章の「その人」だけで終わってるからね。「その人」っていう言葉も思っている人は抽象的にしたかった。文章、映像として起こす時、その人は観客が思うその人にしたかったというか。
みきの作品も言葉がないよね、言葉についてどう思っているの?
映像の中にある言葉、音としての言葉と字幕としての言葉
未樹:言葉範囲で伝えられることが変わるというか。言葉で全部伝えちゃいけないと思うの。作品の中で、直接的に関わるというか。自分の作品の制作で、班員の子が小説書いてる子がいて、その作品のイメージがぬるま湯にずっと使ってたら、だんだん皮膚がふやけて行って自分の体から離れていくイメージがあって、そういうのって文にできる?っていって書いてもらったんだよね。班の中でイメージの共有としてもそれは言ってたんだけど。だから言葉ってすごい力があるなって思っていて。それこそこの作品も白黒の映像で、あれだけで、色を想像したし、その人のことが気になったし、やっぱ言葉って力があるよね。
貴哉:言葉の力もひしひしと最近感じていて、言葉と近すぎたなと感じたり思ったこともあって、それを自覚してきたからこそ、言葉に対しては敏感に丁寧に伝えようっていうのは思ってて。それはわかる。全部伝えてはいけないというか。
未樹:逆に想像力を広げられるような一言が詩的だよね。
貴哉:なんか文の行間が広いみたいな。ページめくっても白紙白紙、みたいな。でも言葉って文の中じゃなくて、空間の中にあるものって言ってた詩人がいて、それもわかるみたいな。
最近文章書いてて、言葉を出していってわかるもんでもあるなと思っていて、言葉が出てきたものをみるからわかっていく。この映像としてとって、編集中にこの言葉いいな、って再確認する。それに言葉の美しさが見えてくる。何回も見ちゃうね、映画のシーンを何回も見ちゃうみたいに。