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「 i 」
作家プロフィール
小林亜裕美
東京造形大学室内建築専攻在学
2019 LOOKS group exhibition
2020 1st zine 「Ful」
作者から・・・
この映像は肉体的な「大人」が普段は良しとされない姿勢で椅子と向き合っている。
大人はあたりまえのように、デザイナーの想定した姿勢で座る。対称に子どもは自由で、いわゆる良い子の姿勢ではなかなか座らない。想定外なのである。
椅子は身体を支える、という単純な機能がゆえに無数のかたちがある。それならば椅子との向き合い方ももっと自由に解釈できるのではないか。
固定観念、という点から私の思考の話をしたい。
歳を重ねると、経験が自信に変わって自分よがりになってしまったり、余裕がなくなって相手に対して思いやれないときがあると思う。
でも本当は歳を重ねるごとにハートフルでいたい。ハートフルには心のこもったさま。温かい気持ちがあふれているさま。という意味があって、人は一人では生きられないからこそこの言葉を心に留めたい。
人の冷たさを感じたとき、悲しくなる。
同時に自分も誰かにそう感じさせていたら、とも思う。
自分の思考やスキルをすべてだと思うことは許さない。
あの人は仕事が遅いけど、誰よりも丁寧だよね。
そうやって「良い」を見つけられる人でありたい。
この映像をきっかけに最近あったハートフルな話をききたい。
This video shows "adults" handling a chair in a posture that is not usually considered acceptable.
Adults sit in the posture assumed by the designer. Children, on the other hand, are free enough not to do so.
Because the chair has a simple function of supporting the body, they have a vast diversity of shape. If so, then the way we sit on the chair can be interpreted more freely.
I would like to talk about my thoughts on stereotypes.
As we get older, we become more self-centered because our experiences give us confidence, and we lose our compassion for others.
But the truth is, I want to be heartful as I get older. "Heartful" means the full-hearted state. It means to be full of warmth. That's why I want to keep this word in mind because we can't live alone.
When you feel the coldness of others, you feel sad.
At the same time, maybe I made someone feel the same way.
People don't allow yourself to think that your thoughts and skills are all that matter.
He is slow at work, but courteous than anyone else.
I want to be someone who can find "charms" like this.
I want to make this video as an opportunity to hear heartful stories that someone experienced recently.
「私という現象」
作家プロフィール
小林竜太朗
東京造形大学 グラフィックデザイン専攻
普段は広告のグラフィックデザインを勉強しています。
作者から・・・
時間や場面を超えて自己と自己と認識するとき、現代人は多くの場合それを自らの社会的役割の中から見出すことになります。人は関わるひとの数だけ自我をもち、その中の統一した部分を自分のアイデンティティと認識しています。それによって最近では、社会的役割に迎合できず、自分が何者かわからなかったり、何になりたいのかわからないなどの問題が増えています。しかし身体はというと、常に変化し続け自分を構成する物質は数ヶ月前のものとは全く別のものに置き換わります。自然の大いなる規則的な動きの中で、私というものが有機的で流動的な一瞬の現象だと気づいたとき、人は少し生きることを肯定できるんじゃないかと考えました。
「Boundary」
Production/Editing/Music : Aiku Kurotaki
Model: Potato ・ Sui ・ Ai Takase
作家プロフィール
黒瀧藍玖
Aiku Kurotaki
2000年生まれ。
2018年和光学園和光高等学校卒業。
東京造形大学テキスタイルデザイン専攻在学中。
2020年年始からイギリス University of the West of England : Bristol ファッションテキスタイル科へ交換留学のため渡航。
イギリス・ロンドン、イタリアでの滞在経験を経て、特にロンドンのファッション、アート、音楽、ストリートカルチャーに影響を受ける。そこからアート作品制作や、楽器演奏、DJを通して自己表現方法を探求中。
過去の展示
2018. 10 東京造形大学CS祭ファッションショー
2018. 10 グループ展 ”MINE”
2019. 4 グループ展 ”DON’T DRINK THE COOL AID”
2019. 8 グループ展 ”ABDUCTION”
2019. 11 グループ展 ”LOOKS”
gmail : akurotaki2000@gmail.com
Instagram : https://www.instagram.com/aikukurotaki/
作者から・・・
ここでは
顔をその人全体像と定義する。
アイデンティティーとして認識するのではなく。
着られる服や着られない服。身に纏えるモノや身に纏えないモノ。
買えない服や、売れない服、身体的理由で着られないモノ。
社会や時代の変化によるコミュニケーションの変化。
そう言ったすべての制限のない自己表現。
空間と身体に移される新しい顔。
Here,
face is defined as the whole person,
instead of recognizing it as an identity.
Clothes you can wear or not wear. Objects you can put on and things you can't put on.
Clothes that cannot be bought, sold, or worn for physical reasons.
Changes in communication relating to changes in society and age.
Self-expression without all these limitations.
A new face transferred to the space and body.
鼎談
小林亜裕美・黒瀧藍玖・小林竜太朗
「 i 」
りゅうたろう「かなりあれだよね。建築学科っていう色は出てるよね。」
あいく「椅子に結局座ることはなかったじゃん?」
あゆみ「うん。そうだね。」
あいく「でも身体に常に触れ合ってたじゃん」
あゆみ「うんうん。」
あいく「あれはあゆみの中で椅子をどう扱ってるの?言葉で表現するなら...」
あゆみ「椅子を体の一部みたいな。なんか、これが正しいとか、そういうのに捉われたくなくって...」
りゅうたろう「一般的には本当に座るだけのものだもんね。」
あいく「うんうん。」
りゅうたろう「それを新しく提案するみたいな形だよね。」
あゆみ「うんうん。そうじゃなくてもいいんじゃない?って。」
りゅうたろう「こんな風にアートにできるんじゃない?っていう提案だよね。」
あゆみ「うんうん、そう。」
りゅうたろう「なんか前にあゆみが言ってたくさいセリフみたいな...」
あゆみ「あーうんうん!ハートフルね。」
りゅうたろう「なんかそういうのを茶化すじゃないけど、あまりまじめに受け取らないことに対するアンチみたいな意味合いもすごくメッセージとして乗せられてると思った。」
あゆみ「うんうん。ハートフルっていう言葉が好きだから、そういうのを茶化したりすることへのアンチを映像と絡められたのはよかった。」
あいく「椅子と人間の関係性を第三者の意見としてね、そのなんか観てて新しい関係性みたいな新しい捉え方ができる動画だなと思った。」
りゅうたろう「うんうん。人間と椅子の間の関係自体が新しいものになっていくよね、その映像は。」
あいく「あと、思いのほか椅子と身体がなめらかに見えた。なんか椅子のイメージが直線的で幾何学的な感じがするけど、観てて体の一部に感じるような一体感があるなって。」
りゅうたろう「体の一部だね。それはかなり身体的な映像だといえるよね。」
「私という現象」
あゆみ「なんかまず宇宙からブアーってなるとこ、すごいゾクゾクした。」
あいく「アイデンティティだよね、コンセプト。」
りゅうたろう「うんうん。社会的カテゴリーから形成される人格、言語化できない人間性。」
あいく「そのお互いにお互いを影響しあってる中で自分っていうのがあって...」
りゅうたろう「うんうん、なんかずっとより本質的な生き方ってどういう生き方があるかなってしてたじゃん?」
あいく「うんうん。」
あゆみ「うん。自分に自信ないとか話した。」
りゅうたろう「それで話すうちに自分の中で固まったアイデアとか考えをかなりビジュアルに落とし込んだ。」
あいく「なんか観ててすごい分かりやすいと思った。どこを中心にみるべきなのか、アニメーションだと伝わりやすい。」
りゅうたろう「うん。あの映像自体も説明的だったと思う。最初にこうで、こうなってっていう...そういうのもアニメだからこそできることだと思って。」
あいく「あとあれかな、作者の体験に基づいてるっていうのが親身に感じた。隣にいたからかも。」
あゆみ「なんか身体で言ったらさ、生身の人間だったら裸でこれを撮ることはできないじゃん?それをアニメーションだとできるからさ、身体の動きとかシルエットがリアルに見えて面白かった。」
りゅうたろう「身体性ってより本質的な生き方っていう事柄に近いと思ってて、逆に社会的な生活ってすごい関係ばっか重視しちゃって自分の身体性とかに気付けてない。だけどもっと自分の置かれている環境だとか、自然の中の人間っていう自分。より身体的で動物的な有機的な生き物、流れの中の一部だってことに気付ければもっと楽なんじゃないの、っていう気持ち。」
あいく「だからサラリーマンとかには身体性を感じないってことだよね。」
りゅうたろう「うん。そういう人たちに身体性を思い出させるじゃないけど、意識させる。それができたらすごくいい。」
あいく「身体性の大事さを共有してる感じだよね。」
「Boundary」
りゅうたろう「あいくの映像はやっぱりテキスタイル学科の色が強くておもしろい。三者三様っていうビジュアル的な面でもおもしろいし、人の身体をキャンバスにして新しく身に纏えるアート、ビジュアルみたいなのが目まぐるしく入れ替わるアニメーションみたいな...」
あゆみ「うんうん、そのライブ感がいいよね。」
りゅうたろう「そもそも着ている服がさ、動いていくなんてことがまず絶対ないじゃん。そこもまた有機的な動きっていうのは、身体性と直結してるなって思うし。あとなんか線が出てくるのもいいよね。その三次元の物体に二次元のものを映し出すわけじゃん?」
あゆみ「うん!そうそう!」
あいく「なんか普段するコラージュ自体も意外な素材の組み合わせみたいなのがおもしろいなって感じてるんだけど、プロジェクターを使ってその素材になりえない人の肌感とか立体感がコラージュにうまれるっていうのがやっててすごいおもしろかった。」
りゅうたろう「より身体性に近いファッションの在り方だよね。」
あゆみ「うん、こういう映像初めて見た。」
あいく「なんか授業受けてて『着るってなんだろう』とか『ファッションってなんだろう』 『どこからどこまでが服で、どこからどこまでが身に纏えてるんだろう』とかを結構考えた りするんだけど、その授業の中でじゅうたんの中に人が入ってその上に服を置いて顔だけ出してて、でもそれは着てるんじゃないかみたいな...」
あゆみ「へーおもしろい!」
あいく「そういうことをやってる人がいて、だからその着るとか身に纏うとかの定義みたいなのってすごい色んな解釈ができて、だからその一つとしてこの映像を身に纏うってことにしたんだけど...」
りゅうたろう「なんかその身に纏っているビジュアルが常に動きめぐってるのが一番おもしろいなって思う。」