身体と映画=ビデオダンス、の世界。

 
 
 
 欧米ではVideodance(ビデオダンス)という映像ジャンルがあります。<ダンスや身体をモチーフとした映画>のことです。
振付家やダンサーが映画監督として映像を作ったり、映像作家がダンサーを振付して映画をつくったり。
ダンスと映画を分けずに、同時に作っていく。
 
 例えば、ダンスを使ったミュージックビデオや、ハリウッドのミュジーカル映画、ダンスの上手い人を撮影したビデオ。それから、舞台の演出に映像を使ったり。どれも普段から皆さんが接しているものです。実際にそういった作品を作るクリエーター・アーティストになってみたいと思いませんか?もし、皆さんがダンスにも興味があって、映画や映像にも興味があるのなら、ぜひビデオダンスを体験してください。
 
 本学では、2018年度から「ビデオダンス演習」や「映像身体演習」という授業が新設され、映画・映像専攻の中で、身体表現を学ぶことができます。
 
 
 
 

映画の中にある身体。

 
 
 人が登場する映画、という言い方をすると、ちょっと不思議に思うかもしれません。いつも観る映画には必ずといっていいほど、人が登場してきますね。その人たちは「身体」を持っています。多種多様な身体。その身体からセリフが出てきて、振る舞いがあって、優しいシーンだったり、暴力的なシーンだったりします。ダンスには「コレオグラフ(choreograph)」があります。「振付」という意味です。でも映画にも、俳優に「こういう風に振り向いてくれない?」と動きを演出するときには「コレオグラフ」といいます。
 
 カメラにも「コレオグラフ」があります。ここからあそこまでカメラが低く動いていって、俳優が振り向いたら、カメラが俳優の顔まで上がって、目にピントが合う・・・。こういう動きは、「カメラの動き」「カメラのコレオグラフ」によって作られていきます。
 
 観光地に行ったりすると、セルフィ(selfie・自撮り)をしますよね。背景の風景の中に、上手い具合に自分を入れ込んで撮影します。これは「カメラアングル」です。どういうサイズで、どういう角度で撮影すると、この場所と自分の存在がバッチリ記録できるか。このセンスはとても重要。「ジャンプして撮ろうよ!」というとき、それはもうダンスです。みなさんが日常的にやっていることは、すべて重要な映画やダンスの基本技術となっていくわけです。
 
 もしみなさんが、上手なダンサーだったら、あなたが主人公の映像作品を作ってみて欲しい。もし近くに魅力的な人がいたら、その人をモチーフに映像を作って欲しいと思います。身体を撮ること。その身体はすでに物語を持っていること。映画・映像専攻がビデオダンスの授業を行うことは、世界的にも新しい試みです。
 
 さあ、いっしょにビデオダンスを始めましょう。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
 
学生は「映画系」「映像系」の2つのコースを必修科目として受講します。
映画と映像も区別なく、両方とも学びます。
 
 
1年
「クリエイティブカウンセリングⅠ」 身体感覚基礎・直感的な身体を体験。
「クリエイティブカウンセリングⅡ」 身体と感覚を映像にする。
 
2年
「映像身体演習」 映像を使ったパフォーマンスを作る。
「個人作品制作演習」 ジャンル問わず、自分の作品を作る。
 
3年
「進級制作」 ジャンル問わず、自分の作品を作る。
 
4年
「卒業研究・制作」 一人一作品、自分のディレクションした作品を作る。
「卒制ミーティング」 クリエイションプロセスの共有。
 
1~4年次に履修できる授業
「ビデオダンス演習」 ダンスと映画のためのクリエイション。
「サウンドアート」 フィジカル(身体的)に音楽を扱う。
「ヴィジュアルアート」 映像を使ったインスタレーションを作る。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
 

 
  
全方位主義。そうでなきゃおもしろくない!
川口隆夫・飯名尚人

 
東京造形大学CSLABでのクリエイションなど、本大学とも関わりの深い川口隆夫と、これまでに多くの作品で川口隆夫と共同制作してきた飯名尚人。
二人の考える「ダンスと映像」の話。
 
聞き手:高橋直治(本学准教授)
 
 


左:飯名尚人 右:川口隆夫
 

川口隆夫パフォーマンス「a perfect life 表参道」
「自分のことについて語る」をテーマに2008年より継続している川口隆夫のソロ・パフォーマンス・シリーズ。
 

川口隆夫パフォーマンス「a perfect life vol.6 東京から沖縄へ」
第5回恵比寿映像祭参加作品
<今・ここ>をインスピレーションにランダムな時空間を結びつけて自分について語っていく。東京造形大学CSLABにてレジデンス&クリエイション。第5回恵比寿映像祭にて、インスタレーション作品とパフォーマンス作品の2つを発表。
 
 

川口隆夫パフォーマンス「大野一雄について」
photo:Dajana Lothert
伝説的な舞踊家・大野一雄(1906-2010)の踊りを、遺された記録ビデオから「完コピ」し、川口隆夫が踊るという手法で再現した作品。世界30都市以上で上演されている話題作。舞踏とは何か?振付とは何か?ダンスのアーカイブとは何か?を問題提起し、議論を巻き起こした。
 
 
 

川口隆夫パフォーマンス「Touch of the other」
1960年代、公衆トイレにおける男性間の性行為について詳細かつ科学的に研究を行ったロード・ハンフリース。彼の研究論文をもとに、ジョナサン M. ホール (ロサンゼルス) と 川口隆夫 (東京) が国際共同プロジェクト「TOUCH OF THE OTHER」を立ち上げた。世界各地において LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の社会的権利が確立していく中で、あえて、これまでの "逸脱した" 文化に焦点を当て、これからの未来を社会に問う。
 
 

「Touch of the other」 photo:bozzo
さいたま芸術劇場映像ホール、ONE Archives | National Gay & Lesbian Archives(南カリフォルニア大学)、REDCAT(ロサンゼルス)、金沢21世紀美術館ホール、スパイラルホール(東京)にて上演。

髙橋:隆夫さんにとって、飯名さんっていうのはどういう存在なんですか。
 
川口:僕はちょっとレイジーなところがあって、ぐじゅぐじゅ考えちゃう。そこをスパンって飯名さんが切る。絶妙な感じで。その絡み方は稀有ですよね。
 
飯名:しょっちゅう隆夫さんにお説教してますね。それじゃだめ!とか言って。
 
川口:僕は最後まで宙づりにしといて、で、最後にシュって掬いたいタイプなの。
 
 
 
ー 全方位主義!
 
川口:初めて自分が作品で同性愛を取り上げたのは、2000年『世界の中心』っていう作品。舞台に五人が出て、自分のセクシャリティの体験を元にいろんなモティーフを持ち出して作った。そう、なんかね、全方位主義!自分の人生の全てから寄せ集めて。ぜーんぶ入れますよー、みたいにやらないと、嘘じゃない?言葉も映像も使う。そのストーリーを語るためには、何だって持ち込む、そうじゃなくちゃいけないなって思う。
 
 
 
ー そのメディアの本質、内情が暴露されていく
 
飯名:隆夫さんが表参道でやった『パーフェクト・ライフ 表参道』(2009年)を観たんです。帰り際に、こういうことを僕もやりたい、すごく面白かったってコメントだけ言って帰ったんです。それが隆夫さんとの出会い。
 
川口:その作品は、12年前に別れた恋人との別れの顛末についてのパフォーマンスで表参道のギャラリーでやったの。パフォーマンスとインスタレーションとの二本立てだったんだけど、その時はね、けっこう面白い作り方をした。恋人との別れのことをもう一回自分で反芻しないといけないって思って。でも思い出せないの、嫌なことばかり思い出す。リック・ウォンっていう香港のダンサーと一緒に仕事することになったんで、彼にお願いして、「何でもいいから僕に質問して、なんでも全部答えるから」って。そうしたら、だんだん思い出せるようになった。
 
飯名:一度もその恋人の映像は出てこない。途中に隆夫さんのお母さんの音声がそのまま使われて。
 
川口:僕と恋人の二人を知っている友達に色々話をしてもらったのね、カフェで。ラップトップを開いて、映像も撮った。その恋人との関係は5年間続いたんだけど、その当時、表参道でやっていたパフォーマンスの稽古が忙しくなって、関係がどんどん悪くなっていくって、それで関係が終わるの。
 
髙橋:表参道の坂を登りきった先にあるギャラリーでしたよね。
 
飯名:映画的な作品。演劇には見えなかった。なんでなんだろうな、いまだによくわかんないけど。舞台芸術だけではいじれない時間軸みたいなのがあって、それだったら僕も関われそうな気がしたんですね。『グッド・ラック』という作品も映画の手法でしょ?スローモーションと巻き戻しで、ぐるぐる回ってる。
 
川口:そうそう。そうだね。
 
飯名:舞台で映像を使うんじゃなくて、映像のメソッドを身体に持ち込んだり、身体のメソッドを映像に持ち込んでみたいな方が面白い。
 
川口:メディアの構造を使う。そのメディアの本質、内情が暴露されていく。作品のプロセスの中でどんどん秘密とか約束が破られていく、暴露されていくっていうときにすごい面白い。
 
 
 
ー ビデオダンス・映像アーカイブ・『大野一雄について』
 
飯名:96年頃、ダニエル・シュミットの映画『書かれた顔』を見たんですよ。そこで大野一雄が踊ってるシーンが衝撃的で。ちょうど岡本章先生の授業も大学で受けてて、ずっと大野一雄のビデオを見せてくれた。はじめは「なんじゃこれ?」って感じだったけど、明治学院大学のチャペルに大野一雄が踊りに来て、そのとき僕はHI8のビデオカメラで大野一雄が踊ってるのを撮った。その出来事と『書かれた顔』を観たときの衝撃が重なって。そのころはまだビデオダンスなんてジャンルは知らなかった。
 
髙橋:最近になって映像アーカイブを皆がやりだしたっていうのは、やっぱりデジタル化とビデオカメラの廉価化があるんでしょうか?
 
飯名:たしかに、みんなが機材を持ってるのに有効な使い方がわからないっていう状態が脈々と続いてた。隆夫さんと『大野一雄について』を作り始めたときに、大野一雄舞踏研究所が大野一雄のビデオを全部持ってて、それを借り出してきて、コピーして踊るって作業を始めた。そしたら、周りが「振り付けを再現するってことがアーカイブになる」ってことに気づき始めた。ピンときたっていう感じかも。やっぱり舞台人は、記録映像を残すよりも、生のものを作りたいし、見たい。だから過去のものを、いまここで再現する、というアーカイブ性と映像メディアの機能に興味が持てたんだと思う。
 
川口:ちょうどフランスを中心に「ノン・ダンス」っていう、踊らないダンスの潮流が2012年前後から出てきて、60年代の読み直しが行われるわけです。イヴォンヌ・レイナーの『トリオA』が再制作されたりとか、リ・エンナクトメント(再現)っていうのがアート分野でも、映像分野でもされた。ヨーロッパから火がついて60年代のニューヨークのジャドソン・チャーチをもう1回読み直す。その流れの中で、舞踏も読み直すっていう舞踏作品がヨーロッパで出てきた。その流れでって思ったわけではないんだけど、『大野一雄について』は、そういう潮流としてはあったような気はする。日本で、ダンスの分野でやろうっていった人はそんなにいなかったと思う。
 
 
 
ー その間で漂ってる形にならない何かがキャッチできたときに、たぶん作品になる。
 
 
髙橋:前に、飯名さんが、「踊り手自身が自分で映像を撮るっていうことの中にも、ビデオダンスのコアにつながるものがある」っておっしゃってて。
 
飯名:振付家の白井剛さんがYCAM(山口情報芸術センター)で撮ったビデオダンス作品見たときに、自分の手法と全然違う、すごいイイ!って思った。映画を作る文法を無視して撮ってる。皮膚感覚の鋭さを感じた。白井さんのああいう作り方がどんどん流行ったほうがいいって思った。だけど、じゃあ僕にできる手法は何?って考えるわけですけども、僕は「物語」を拠り所に作ろうって思った。人は身体に物語を持ってるから、物語をキャッチする側の映像作家にならないといけないって。『TOUCH OF THE OTHER』でロサンゼルスの公園に行って、隆夫さんをだらだら撮った。あれは発見だった。打ち合わせもなく撮影して。
 
川口:どうしようかなーって思いながらね。
 
飯名:とりあえずカメラ持って散歩行こう、って。ゲイの発展場と言われているロサンゼルスの公園に二人で行って、僕がビデオカメラ持って撮り始めると、隆夫さんがなんかし始める。結局1時間ぐらいかな。撮る側と撮られる側に距離があって、その関係において成立する何か。
 
髙橋:カット割りだったり、撮る段取りにダンスが従属しちゃうとダンサーもストレスがあるだろうし、撮る側も決まったものになっちゃう。逆に、ダンサーが好きにやって、それをただ撮るっていったら舞台と変わらない。実はその間に漂ってるんじゃないかっていうのは、飯名さんの話を聞くたびによく思うんですよね。
 
飯名:その間で漂ってる形にならない何かがキャッチできたときに、たぶん作品になる。
 
髙橋:ダンサー自身が自分で撮る人たちって、カメラに従属されないっていうか。かといって、踊りだけが優先されないっていう、ほんとに微妙な関係。
 
 
 
ー 制度とか、構造とかを問題にしないと成立しない作品。そうでなきゃおもしろくない!
 
 
髙橋:ダンサーがそこにいる場を作るみたいなことまでドラマトゥルクとして飯名さんはやってて、ダンスの場にカメラを置くっていうことと、ドラマトゥルクがその場にいるっていうことはすごく重なってくる。
 
飯名:監視するっていうか、常に見てる感じ。プロデューサー的な。『TOUCH OF THE OTHER』のときは、あのプロジェクトが日本で成立するには何が必要かって考える仕事でした。演劇の正統的なドラマトゥルクのような、作品の中身に関わってるだけだと、現代の作品は面白くなくて、特に隆夫さんのやってる作品は、作品の中だけで議論してても外に出てかないし。
 
川口:制度とか、構造とかを問題にしないと成立しない作品テーマだったりもする。そうすると、作品をどう売るかとか、どう宣伝するかとかっていうのにも関わる。どのくらいの規模で何ができるか、誰とやるかっていうことも。総合的な関わりの中でしか生まれないものっていうのを作りたいし、そうでなきゃおもしろくない!
 
 
 
 
profile
 

川口隆夫

ダンサー・パフォーマー。1990年、吉福敦子らとともにコンテンポラリーダンスカンパニー「ATA DANCE」を主宰。96年からアーティスト集団「ダムタイプ」に参加。2000年以降はソロを中心に、演劇・ダンス・映像・美術をまたぎ、「演劇でもダンスでもない、まさにパフォーマンスとしか言いようのない」(朝日新聞・石井達朗)作品群を発表。「自分について語る」をテーマにした『a perfect life Vol. 06 沖縄から東京へ』で第5回恵比寿映像祭(東京都写真美術館、2013)に参加。近年は舞踏に関するパフォーマンス作品『ザ・シック・ダンサー』(2012)。『大野一雄について』(2013)は16年秋の公演でニューヨーク・ベッシー賞にノミネートされ、現在も世界各地をツアーし続けている。1996~98年まで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現・レインボーリール東京)のディレクターを務め、英国映画監督デレク・ジャーマンの色についてのエッセイ集『クロマ』を共同翻訳(2002年、アップリンク)。


 
飯名尚人

映像作家・演出家・プロデューサー・ドラマトゥルク・デザイン・サウンド・インタビュアー等、ジャンル横断アーティストとして活動。舞台芸術(ダンス・演劇)の世界では、様々な舞台作品で映像デザインとドラマトゥルクを担当している。ビデオダンス専門の映画祭「国際ダンス映画祭」を主宰。メディアパフォーマンスを扱う組織「Dance and Media Japan」主宰。川口隆夫とは『パーフェクトライフ vol.06』『大野一雄について』『Touch of the other』の3作品にて深く関わり、コラボレーションしている。 東京造形大学特任教授。
 
 
 
 

 
 

 
クリエイティブ・カウンセリングⅠ
1年生・前期
  
「演技する肉体」
 
授業担当 飯名尚人

テキスト・写真 日下部隆太
 

 
 

 
 


 

 

ガラクタの配置

 
今日の授業は、まず学校中を回ってガラクタを集めてくるところからスタートです。
 
集めてきたガラクタをみんなで教室に配置します。
ただ無意識に、乱雑に置くのではありません。
何かが起こりそうな予感のする置き方…、
何かに見立てられたような置き方…、
物がもつ特性が生きてきそうな置き方…、
そんなことを考えながら、思い思いに配置してみます。
 
学生たちは2チームに分かれます。
 

ここで大事なキーワード!
「演じる側」と「見る側」です。


片方のチームが演じているあいだ、もう片方はぐるりと周りを取り囲んでパフォーマンスを観察します。

 
さあ、ステージと客席が完成しました。
いよいよ演技の時間が始まります!
 
 
 

とにかく10分やってみる!

 
ここから全部で3回のワークが始まります。時間は10分間。勘だけを頼りにとにかく動いてみます。
飯名さん「アプローチとしては、演技する肉体、です。演技をする肉体のイメージでとにかくやってみよう。」
 
でも一体「演技する肉体」ってどういう意味なんでしょうか?
そもそも演技って何だ? 肉体って…。
戸惑いながらも、まずはとにかく10分間がスタート!
 

 

 

無意識に引き出された「破壊」…

 
はい、1回目のセッションが終了。10分経ちました。飯名さんから学生さんたちにフィードバックです。
 
飯名さん「こういうワークをした時の特徴なんだけど、みんななぜかモノに対して破壊という行動に向かっていきました。これはどういうことなんだろうね?!」
 
何もない状態で「物」と絡もうとした時、人はなぜ破壊的な行動を引き出されてしまうのか??? とても興味深い話です。
 
飯名さん「みんなの中に、無意識に、集めてきた物が単なるガラクタ、ゴミ、という気持ちがあるのかもしれません。今度はこの『モノ』たちを『ゴミ』ではなく、『コラボレーター・共演者』として『いたわり』を持って演じてみてください」
 
飯名さんから新たなキーワードが提案されました。
 

2回目のキーワード。

「モノ」を、自分の演技を引き出してくれる「コラボレーター、共演者」として考えてみる。
コラボレーターとの関係性を意識的に設定してみる。例えば「いたわり」のような。
 

 

 

 

ミッションによって、演じる側と観客のあいだに回路が開かれる

 
2回目の10分間が終了。
 
飯名さん「だいぶ破壊的な衝動から解放された感じがします。今回は、自向的に一生懸命なにかをやっている人と、周りをうろうろする人が現れてきました」
 
演じる人たちの体の見え方が少し変わってきたようです。1回目は子供が初めて与えられたおもちゃに、力を使って絡んでいた感じに見えていた肉体が、少し意思を持って道具を使って何かをやっている人たちのように見え始めました。
 
飯名さん「次は自分とモノとのあいだに、ミッションを立ててみましょう」
 
例えば人が一生懸命「棒」を立てようとしていると、失敗したら観客は、「あー残念」となったり、成功したら、「おー、すごい!」となったりします。(飯名さんが一生懸命棒を立てながら説明する)
モノと自分とのあいだにミッションを持つことによって、演じる側は行動に集中できるので少しだけ演じることから解放されます。でもただやるだけじゃダメなんです。ここでも見られていること、演じていることを意識しておくことが重要です。
 
飯名さん「ミッションを達成しようとする自分の肉体を、誰かに見せているという意識を持つことで、演じる肉体の輪郭が見えてくる。それが見ている観客を巻き込んで行くはず」
 
自分がモノとのあいだに立てたミッションを肉体を通して意識的に見せることによって、観客が自然と自分のパフォーマンスに巻き込まれていきます。
 
飯名さん「次は音楽も流します。それから、モノとの関わり方を考えるのと同時に、今度は一緒にいるパフォーマーとの関わり具合。人との関わり方も意識してみてください。自分は今、演技をすることによって、見せ物、パフォーマンスを作っているんだという意識を持つことが大切です」
 

3回目のキーワードは、
 
 自分とモノとのあいだにミッションを立てて演じてみる。
 音楽もコラボレーター、共演者に加える。
 同じ空間にいる人との関わり具合を意識する。
 

飯名さんが音楽を流しながら、3回目の10分間がスタートです。
 
言葉を使わずに「肉体」と「物」が何か関係性を結ぶことはできるのでしょうか? 試行錯誤が続きます。
 

 

 

演技する肉体がやってくる

 
3回目の10分間が終了。
学生さんたちの顔つきが少しづつ変わってきました。初めは見られていることを意識して、自分の動きにブレーキをかけていた人たちが、見られていることを気にせずに、むしろ利用して自分の動きに役割を与え、意識的に何かを演じ始めたように見えます。
 
見られること、カメラを向けられること。その中で、自分の肉体が無意識ではなく、何かの形や役割を担っているように、周りの人から見られているかもしれない、という感覚が引き出されてきました。
「演技する肉体」の登場ですね。
 
人の動きからインスピレーションを得て、そこに加わったり、動き方を変化させるような有機的な連鎖も始まりました。抽象的なイメージであっても共有されたり、別の人の動きに影響を与えることがわかります。
まさにこのような、イメージとイメージの応答関係の中に、言葉を使わない物語が立ち上がるのかもしれません。
 
自分の中に眠っている動きや形が、物=共演者によって引き出される。
その動きを感じている自分、その姿を見られているという意識が、抽象的な動きや形に輪郭を与え、役柄や物語のレベルに引き上げられていきます。
見る人たちは演じる肉体に物語を投影し、演じる肉体はその視線によって自分の動きと意識を変容させて行く。そういう共犯関係が「演技する肉体」を生み出しているようです。
 
この発見は、カメラを持った演技する肉体、ビデオダンスへと繋がっていきます。