文学、三味線、舞踏、日本舞踊、現代音楽、映像、メディアアート、、、
古今の芸能を編み込んだ西松布咏の「雁」の世界。

古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。

明治十三年、「僕」がこの目で見たのは岡田とお玉が無縁坂ですれ違ったという事実だけである。すべての出来事は「僕」が下宿で出された鯖味噌を拒絶し、友人の岡田を牛鍋屋に誘ったことであった。妾のお玉は、無縁坂の家でただひたすらごくごく些細で日常的な幸福を待っている偲ぶ女。運命に身を委ね、それを受け入れる人間の姿。森鷗外の「雁」は、文芸雑誌『スバル』にて、1911年から1913年にかけて連載された実らぬ恋を描いた名作である。

忍ぶ恋 あらわれ見えたるゆえ 忍ばずの女という

この「雁」を原作に、1987年西松布咏によって創作された「忍ばずの女」。西松は、「忍ぶ恋 あらわれ見えたるゆえ 忍ばずの女という」という一句をはじまりとし、オリジナルの楽曲で「雁」を再構成した。2007年には俳優寺田農の朗読によって再演され、2013年新しい演出で舞台化。唄と三味線・西松布咏、舞踏・大野慶人、日本舞踊・花柳千寿文、ピアノ・辻隼人、演出・飯名尚人。

森鷗外

Ougai_Mori_October_22,_1911.jpg本名 森 林太郎(もり りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒業。
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。

余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス
で始まる遺言により墓には一切の栄誉と称号を排して「森林太郎ノ墓 」とのみ刻された。

写真:森鷗外(1911年) 写真引用:wikipedia