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2020年9月9日(水)21:00〜翌日の昼12:00
ダンス映画監督特集:ルイーズ・ナルボニ・2作品

Wed  9 SEP  9:00 P.M.〜12:00 P.M. JST (+UTC9)
Featuring a Dance Film Director: Louise Narboni (France)


After a Dream 
夢のあとで(27’00)

監督:Louise Narboni 振付:Julie Desprairies
フランス 2012


Let's Dance an Opera 
オペラを踊りましょう(19’00)  

監督:Louise Narboni
フランス 2014

 

 
 
 

ルイーズ・ナルボニ
映画とオペラ歌唱を学び、歌手やダンサーの映像を撮影。近年は、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルやヨアン・ブルジョワともコラボレーションを行っている。またジャン=ポール・シヴェラック監督映画の編集も務めている。
 
 
フィルモグラフィー
「Souvenirs de juin」 2020 / 16 minutes / Melodrama
「Chanson triste」  2019 / 67 minutes / Melodrama
「グレート・ゴースト」(ヨアン・ブルジョワとの共作) Les grands fantômes (co-réalisé avec Yoann Bourgeois)  2018 / 55 minutes / Les films Jack Fébus 
「Ce que je m’ai souvenu」 2017 / 28 minutes / Les films du bélier
「Happy We」 2016 / 17 minutes / Les films du bélier 
「En présence des clowns」 2015 / 16 minutes / Les films du bélier
「オペラを踊りましょう」Let’s dance an opéra  2014 / 18 minutes / Les films de l’air
「夢のあとで」(ジュリー・デプレリーとの共作)Après un rêve (co-réalisé avec Julie Desprairies)  2012 / 26 minutes / Les films de l’air 
 
・邦題は日本で公開された作品です。
 

BIOGRAPHY
Louise Narboni studied cinema and lyric singing. 
She regularly films singers and dancers. 
She recently collaborated with Anne Teresa de Keersmaeker and Yoann Bourgeois. 
She also works as an editor notably films by Jean Paul Civeyrac.
 
 
FILMOGRAPHY 
Souvenirs de juin  2020 / 16 minutes / Melodrama
Chanson triste  2019 / 67 minutes / Melodrama
Les grands fantômes (co-réalisé avec Yoann Bourgeois)  2018 / 55 minutes / Les films Jack Fébus 
Ce que je m’ai souvenu  2017 / 28 minutes / Les films du bélier
Happy We 2016 / 17 minutes / Les films du bélier 
En présence des clowns  2015 / 16 minutes / Les films du bélier
Let’s dance an opéra  2014 / 18 minutes / Les films de l’air
Après un rêve (co-réalisé avec Julie Desprairies)  2012 / 26 minutes / Les films de l’air 

ダンス映画監督たちへのメールインタビュー

A Mail Questionnair to Dance Film Directors

インタビュアー・翻訳:呉宮百合香

今回上映する2作品では、いずれも振付家のジュリー・デプレリーとダンサーのエリーズ・ラドゥエが大きな役割を担っていました。振付家やダンサーとは、どのように作品を作っていくのですか?
 
ジュリー・デプレリーなしでは、この2作品は存在しなかったでしょう!
2作はいずれも、彼女がエリーズ・ラドゥエと地元の住民と協力して実現した振付プロジェクトの成果とも言えるものです。『夢のあとで』はグルノーブルのヴィルヌーヴ地区で、『オペラを踊りましょう』はリヨン・オペラ座で制作されました。
グルノーブルでは、観客を迎えて街歩き型公演を行う許可が得られなかったので、今回限りはこの数ヶ月の滞在制作の成果を映画という形にしたいとジュリーは考えていたのです。
その映画の監督を、彼女は私に任せたいと言いました。振付の全進行は、私が滞在制作に参加する以前にすでに考え抜かれ、骨組みも作られていました。彼女は、ヴィルヌーヴのような新しく開発された街で「共に生きる」という、1960年代のユートピアの時代をリサーチの主対象としていました。私に残されているのは、このような過ぎ去りし時代に敬意を表しつつ回遊型のダンスを撮影するにはどのようにするのがベストかを考えることでした。
ジュリーからは、シーケンス・ショット[※訳注:長回しの手法のひとつ]で映画を作ってみたいと言われていました。そして街を当て所なく歩き回り、場所や人を発見していくエリーズの足取りを、インターネットライブ配信で辿れるようにするのも良いのではないか、と。
このアイデアは技術的に実現が難しすぎるうえに、私が作りたい映画の感性とも合わなかったため、早々に断念しました。私は夢のような映画を作りたかったのです——今日ひどくけなされてしまったこの地で。この手の場所を傷つけるテレビ報道にありがちな、ごちゃごちゃした感じで下品に撮ることはしたくなかったのです。
[※訳注:2010年、強盗容疑で逃走していたアラブ系男性を警察が射殺した事件への抗議として、グルノーブルのヴィルヌーヴ地区で激しい暴動が起こった。駆けつけた時の大統領ニコラ・サルコジが移民差別を煽る演説を行い、さらに国籍剥奪といった強硬策を打ち出したため、大きな波紋を呼んだ。移民が多いグルノーブルの中でも、ヴィルヌーヴ地区にはとりわけ貧困層が多く、この事件により犯罪の温床というレッテルを貼られることになった。]
 
確かにグルノーブル・ヴィルヌーヴ地区の初視察の際は、(巷の悪評に影響されて)怖い場所なのではないかと覚悟して行きました。しかし、その日の好天とジュリーから聞いた話のおかげもあって、少なくとも撮影に関しては、むしろ好ましい場所なのだとわかりました。そしてエリーズ・ラドゥエのことも、この撮影を通じてより良く知ることができました。彼女は優美で明晰であるだけでなく、アマチュアの人々に対して寛大に応じてくれる人でもあることが判明したのです。撮影は1週間という短い期間で、ハードではありますが、制作はとても楽しかったです。演出やフレーミングは難なく決まり、ジュリーからの全幅の信頼も得ることができました。それから撮影した映像を編集して、彼女が想像していたよりもずっと音楽的で感傷的な映画に仕上げることを提案しました。叙情的とも言われる私と、それよりもずっとコンセプチュアルなジュリー。ふたりでうまく補完し合っているのです。
 
 
『オペラを踊りましょう!』は、サイトスペシフィックな公演『オペラの中のオペラ座(L'Opera nell’opera)』が原案になっています。もともとパフォーマンス作品であったものを映像作品化する際に、意識することは何ですか?
 
もちろん私は大のオペラ好きで、ジュリーの作品も大好きなので、彼女の公演『オペラの中のオペラ座』を元に映画を作るというアイデアは、私をすっかり魅了しました。
この新作をどうやって形にするかを探るために、本番の数ヶ月前に彼らの最終滞在制作を見に行ったのですが、その制作の場がとても心地良かったこともあって、ふと、若い衣装係の女性を主人公にした一種のフィクションを描いてみたい気持ちが湧いてきました。リヨン・オペラ座でジュリーの公演を担当することになった彼女が、クリエーションの傍ら、出演する若い男性ダンサーの一人ととても複雑な恋をするという物語です。一種のミュージカルとも言えるでしょう。結局この映画が作られることはありませんでしたが、ともかく私は何が起こるか全くわからないままジュリーの公演を撮りに行くことにしました。この公演では、夢幻的な雰囲気の中、観客はオペラ座の建物内を自由に歩き回ることができました。観客にとってとても素晴らしい体験だったのではないでしょうか。音楽や不思議な音が奏でられる中、隠された場所を見つけに行き、自分の人生を一つのスペクタクルに仕立てたいという共通の願望を持ったあらゆる国籍の人々と出会うことは、とても感動的であったに違いありません。しかし監督である私には、このことが意味する制約ばかりが見えました。動き回る観客たちは映画の中には登場してほしくないが、その存在をどうやって回避すればいいか。初演直前の短い通し稽古の際にごくわずかな時間を撮影用に得て、撮れる限りの素材を大急ぎで収集しました。エリーズには公演の翌日にも少し時間を割いてもらい、編集に使えそうな追加のシーンを二人でいくつか考案しました。また、素晴らしい歌手であるジェズュを説得し、元の公演には全く登場しない『カルメン』のアリアをこの映画のために歌ってもらいました。その後、実際の編集作業に取り掛かりました。ちょっとした室内オペラを——実験的で、ちょっとクレイジーで大げさで、オペラがそうであるように悲劇的で仰々しくて、興奮が最高潮に達するオペラを——好奇心をそそる対象として描き出すことに決めたのです。
これはジュリーの公演から生まれた、自由で個人的な映画です。見てくれたある友達に言わせれば、愉快なゴダールのような映画らしいです!ジュリーもこの作品にとても驚き、感動してくれました。
 
 
ダンス映画には記録と表現という二つの面、つまりダンスの記録映像としての側面と、ダンスを素材にした映像作品としての側面があります。映像作家として、この二つをどのように考えていますか?自らの仕事をどのように位置付けていますか?
 
どちらもやりたいと思っています。アーティストの作品をできるだけ忠実に捉えていくことも好きですし、可能な際にはその作品を独自の視点から再解釈しようとすることもあります。前者の場合は、私自身の作業量は少なくなる一方で、多くの振付家に出会い、強い繋がりを築くことができます。これまでの様々な撮影で、メディ・ウァレルスキー、モー・ル・プラデック、エマニュエル・ガット、シャロン・エイアール、アレッサンドロ・シアローニ、ラシッド・ウランダンといった素晴らしい人々に出会うことができました。
アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとパリ・オペラ座で何度か仕事を共にできたことは、いまだに自分でも信じられません。彼女のことは心から尊敬していて、ティエリー・ドゥ・メイと共に彼女が作るダンス映画の数々は、並外れて優れています。そしてヨアン・ブルジョワとは、『落ちる者(Celui qui tombe)』の撮影で出会って以来とても素晴らしい友情を育み、その後『グレート・ゴースト』を共に作ることとなりました。
 
 
ルイーズさんの作品は、文学や哲学のテキストからの引用が随所に散りばめられている点が印象的です。作品の中で言葉はどのような役割を果たしていますか?
 
複数の音楽と言葉を組み合わせ、それ自体をひとつの音楽として響かせるという自分の映画のスタイルを見出し始めたのは、まさに『オペラを踊りましょう』からです。テキストのない映像では物足りず、映画をもっと面白くするにはそこにひと味加えないといけないと感じたのです。リサーチを進めながら、だんだんとポール・ヴァレリーの『舞踊の哲学』や『ユーパリノス あるいは建築家』に焦点を絞っていくようになりました。常にダンスと建築を融合させていくジュリーの作風と、ジャン・ヌーヴェルがリノヴェーションしたリヨン・オペラ座の建物が舞台の今回のプロジェクトに、まさにぴったりだと思ったのです。
『オペラを踊りましょう』の後は、自分の家族を題材にしたより私的な映画を続けて作りましたが、やはりそこでもボイス・オーバーの手法を多用し、文学的色合いを濃くしました。
『グレート・ゴースト』では、振付家のヨアン・ブルジョワが、シャルル・ペギーの『詩人はこう言った(Un poète l’a dit)』という素晴らしいテキストのことをすぐに教えてくれました。パンテオンでの公演時に、台詞が聞き取れなくなるほど音が反響する空間であったためにこのテキストを使えなかった彼にとって、今回の映画では使えるということは思わぬ幸運だったわけです。彼は映画の序文にすることをイメージしていたようですが、私はこれを永久に動き続ける世界という考えを表す陶酔のライトモチーフとして、繰り返し使うことにしました。また、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』の「第二の散歩」から失神についての一節を抜粋して使うことをヨアンに提案しました。この本は彼の愛読書であり、かの有名な支点のリサーチ訳注:『宙吊りの支点へ至る試み(Tentatives d’approches d’un point de suspension)』と名付けられたヨアン・ブルジョワのプロジェクトのこと]にも呼応するからです。さらに、パンテオンに埋葬されているヴィクトル・ユゴーが天体望遠鏡で月を観察したことについて記した『哲学的散文(Proses philosophiques)』からの引用も、この映画の宇宙的なスケールを直接的に反映する言葉として加えていきました。
また、男と女の対話を入れることも提案しました。全編を通して背景に流れているシューベルトの歌曲、その歌詞をフランス語に訳したものを女性役の私が男性役のヨアンに囁きかけることで、映画に愛の側面を付け加えることにしたのです。
ボイス・オーバーは、オペラ歌手とアフガニスタン難民の物語を描いた私の次の作品『悲しき歌(Chanson triste)』でも絶え間なく用いられています。
 
 
映画と並行してオペラ歌唱を学んでいたとのことですが、その経験は作品にも影響していると思いますか?
 
音楽は、私の映画制作に対するアプローチにおいて最も重要なものです。映画と同じくらい音楽が好きで、音楽なしで映画を作ることは考えられません!『シェルブールの雨傘』のような、最初から最後まで歌い通す本格的なミュージカルをいつか作り上げてみたいと思っています。
 
 
昨年上映した『グレート・ゴースト』も、今回の2作も、踊り手の身体だけを注視するのではなく、身体を包む空間も丁寧に写しています。なかでも、大きな空間の中に小さく身体を置く『引き』の構図は特徴的です。空間と身体の関係をどのように捉えていますか?
 
空間と身体の関係という問いこそが、ジュリーとやるときもヨアンとやるときも、私たちを突き動かしてきました。『グレート・ゴースト』では、パンテオン訳注:パリにあるフランスの偉人を祀る霊廟]という歴史の詰まった記念碑的な建物の中で、まさに地球と人類という規模で人の小ささを示すことができました。ヴィルヌーヴでの撮影とは対照的に、この時の撮影は私にとってかなり重荷でした。パンテオンの圧倒的で重々しい桁外れの装飾に、押し潰されるように感じてしまったのです。幸いなことに、出来上がった映画にはそういった面は感じられず、全てが無重力になったかのような見た目となっています。
 
 
グルノーブルといえば、1968年冬季五輪の記録映画『白い恋人たち』を思い出します。その点『夢のあとで』はこの街にとっての「オリンピックの後」という意味でもあるように感じました。クロード・ルルーシュ監督の『白い恋人たち』からの影響はありますか?この作品は、どのような経緯で制作されることになったのでしょうか?
 
この話を聞くまで、『白い恋人たち』という映画があることを全く知りませんでした。急いで見なくちゃ!クロード・ルルーシュだけでなく、ギイ・ジルをはじめ何人もの面白い映像作家が参加しているのですね。
ジュリーのプロジェクトは『公園の周りで(Autour du Parc)』という名称でしたが、映画化するにあたって『夢のあとで』というタイトルをつけたのは私です。
私の大好きなガブリエル・フォーレのメロディーにオマージュを捧げていて、映画の中にもそのインストゥルメンタル版を挿入しています。そしてこのタイトルは、あらゆる社会的階級やあらゆる人種の人々が仲良く共生する夢のような場所を作りたいと願ってヴィルヌーヴを開発した当時の建築家や造園家が残したものを基盤にするジュリーのプロジェクトの全体像とも合致すると思ったのです。
夢のあとで——その夢は実在したが、その後消えてなくなってしまった
夢のあとで——そしていつかまた、別の夢が実現することを願って

La chorégraphe Julie Desprairies et la danseuse Elise Ladoué ont joué un rôle important dans les deux films présentés au International Dance Film Festival 2020. Comment collaborez-vous avec les chorégraphes et les danseurs pour créer ensemble un film ?
 
Sans le travail de Julie Desprairies ces deux films n’existeraient pas !
Ils découlent directement de deux projets chorégraphiques qu’elle a réalisés avec Elise Ladoué en collaboration avec des habitants des quartiers, le premier à la Villeneuve de Grenoble, le second à l’Opéra de Lyon.
A Grenoble, comme elle n’avait pas obtenu l’autorisation de faire venir un public pour assister à son spectacle déambulatoire dans la cité, elle avait souhaité que l’aboutissement de leurs mois de résidence soit, pour une fois, un film.
Film dont elle a souhaité me confier la réalisation. Tout le trajet chorégraphique avait été pensé et conçu au préalable lors des résidences de travail auxquelles je n’avais pas participé. Il me restait à imaginer comment filmer au mieux ce parcours dansé en tentant de rendre hommage à une époque révolue celle de l’utopie dans les années 60 du « vivre ensemble » dans ces villes nouvelles autour de laquelle Julie avait axé ses recherches.
Julie m’avait fait part de son envie de faire un film en plan séquence, et pourquoi pas en direct sur internet, suivant à la trace d’Elise dans son errance et découverte des lieux et des habitants.
Assez vite nous avons abandonné cette idée trop difficile à réaliser techniquement et qui ne correspondait pas au sentiment du film que j’avais envie de faire. J’avais envie de faire un film rêvé, dans un lieu pourtant tellement décrié aujourd’hui. Je n’avais pas envie de le filmer vulgairement à l’épaule, de manière chaotique comme trop souvent les reportages télévisuels qui nuisent à ce genre d’endroits.
 
Il est vrai que la première fois que j’allais en repérage à la Villleneuve de Grenoble, je m’étais préparée à découvrir un lieu plutôt hostile (influencée par la mauvaise réputation de cet endroit), et découvrais grâce à sa météo extrêmement clémente ce jour-là et à ce que Julie m’avait raconté de son histoire, un lieu au contraire désirable -du moins à filmer. J’apprenais aussi à connaître mieux Elise Ladoué qui s’avérait une personne non seulement gracieuse et lumineuse mais aussi généreuse dans sa façon de se comporter avec les amateurs. Le tournage s’est déroulé sur une petite semaine, intense mais très agréable dans sa fabrication. La mise en scène, les cadres n’étaient pas difficiles à trouver, et j’avais toute la confiance de Julie. J’ai ensuite fait le montage et proposé un film bien plus musical et sentimental que celui que Julie avait imaginé. Julie étant quelqu’un de bien plus conceptuel que moi qui suis disons plus lyrique. Nous nous complétons bien !
 
 
Let's Dance an Opera s’est inspiré d’un spectacle in situ L'Opera nell’opera. Comment travaillez-vous pour adapter des spectacles vivants à l'écran ?
 
Evidemment comme je suis une grande amatrice d’opéra et que j’aime le travail de Julie, l’idée de faire un film autour de son spectacle L’Opera nell’opera avait tout pour me séduire.
Je suis allée assister à une de leur dernière résidence de travail quelques mois avant le spectacle pour voir comment j’allais pouvoir réaliser ce nouveau film. Je me sentais tellement bien dans ce lieu que j’ai tout à coup eu envie d’écrire une sorte de fiction autour d’une jeune femme costumière qui travaillerait à l’Opéra de Lyon sur le spectacle de Julie et qui, parallèlement à cette création, vivrait une histoire d’amour très compliquée avec un des jeunes danseurs du spectacle. Une sorte de comédie musicale. Finalement ce film n’a pas pu se faire, et je décidais d’aller tout de même filmer le spectacle de Julie sans savoir tout à fait ce qu’il en adviendrait. Le spectacle offrait aux spectateurs une déambulation dans tous les lieux du bâtiment de l’opéra, dans une atmosphère très planante. Je pense que l’expérience de cette déambulation pour le spectateur devait être très belle. Partir à la découverte de lieux secrets, accompagné par une musique et des sons étranges, rencontrer des personnes de toutes les nationalités portées par l’envie commune de faire un spectacle à partir de leur vie devait être très touchant. Mais pour moi, je ne voyais que les contraintes que cela signifiait. Comment éviter la présence de ces spectateurs mouvants dont je n’avais pas envie qu’ils apparaissent dans le film. J’ai réussi à obtenir quelques tous petits moments juste pour la caméra au moment d’un court filage juste avant la première du spectacle. Glanant tout ce que je pouvais le plus rapidement possible. J’avais aussi obtenu d’Elise qu’elle me consacre un peu de son temps le lendemain du spectacle. Nous avons imaginé toutes les deux des séquences supplémentaires qui pourraient me servir au montage. J’avais aussi convaincu Jésus, le beau chanteur qui avait accepté pour moi d’interpréter un air de Carmen, qui n’apparaissait pas du tout dans le spectacle de Julie. C’est ensuite à la table de montage que j’ai fabriqué le film. Décidant d’en faire un objet curieux, un petit opéra de chambre, expérimental, un peu fou, exagéré, comme l’est l’opéra, tragique et exagéré dans lequel les passions sont exacerbées. Un film libre et personnel, à partir du spectacle de Julie. Une sorte de Godard gai, comme me l’a dit une de mes amies quand elle a découvert le film ! Julie a été très surprise et touchée par le film.
 
 
Le film-danse aurait deux aspects : le document et l’expression, autrement dit, la captation vidéo de spectacles et l'œuvre cinématographique traitant de la danse. Que pensez-vous de ces deux natures en tant que cinéaste ? Comment positionnez-vous votre travail ?
 
J’aime faire les deux, à la fois réussir à capter le plus fidèlement possible l’œuvre d’un artiste mais aussi m’autoriser quand la voie est libre une réinterprétation plus personnelle de l’œuvre. Dans le premier cas l’exercice me demande moins de travail, mais me permets de rencontrer de nombreux chorégraphes avec lesquels je noue ensuite des liens plus ou moins forts. Au fil des différentes captations que j’ai faites, j’ai pu rencontrer des gens formidables comme Medhi Walerski, Maud Le Pladec, Emmanuel Gat, Sharon Eyal, Alessandro Sciarroni, Rachid Ouramdane…
Je n’en reviens toujours pas d’avoir travaillé avec Anne Teresa de Keersmaeker à plusieurs reprises à l’Opéra de Paris, elle que j’admire tant, et qui a fait avec Thierry de Mey, des films de danse extraordinaires. Et puis il y a Yoann Bourgeois, avec qui j’ai tissé une amitié très belle depuis que nous nous sommes rencontrés sur la captation de « Celui qui tombe » et avec qui j’ai par la suite réalisé ce film Les Grands fantômes.
 
 
Ce qui est impressionnant, c’est que vous parsemez vos films de citations littéraires ou philosophiques. Quel place les mots occupent-ils dans vos œuvres ?
 
C’est vraiment avec Let’s Dance an Opera que j’ai commencé à trouver mon style cinématographique composé de musiques et de mots, qui retentissent eux aussi comme une musique. Je trouvais que les images sans textes ne se suffisaient pas et qu’il fallait leur ajouter une dimension pour rendre le film plus intéressant. Au fur et à mesure de mes recherches je me suis concentrée sur les textes de Paul Valéry, Philosphie de la danse mais aussi sur son texte sur l’architecture Eupalinos ou l’architecte, qui me semblaient entrer parfaitement en résonance avec le travail de Julie qui allie toujours la danse à l’architecture, s’appuyant pour ce projet-ci au bâtiment de l’Opéra de Lyon restructuré par l’architecte Jean Nouvel.
Ensuite j’ai continué à faire des films plus intimes autour de gens de ma famille toujours avec une forte dimension littéraire en utilisant beaucoup le procédé de la voix-off.
Pour Les Grands fantômes, Yoann m’a tout de suite parlé de ce texte magnifique, Un poète l’a dit de Charles Peguy, qu’il n’avait pas pu utiliser lors de son spectacle au Panthéon à cause de l’acoustique trop réverbérée dans laquelle le texte devenait inaudible. Une aubaine pour lui de pouvoir l’intégrer au film, je décidais non seulement de le garder comme il l’avait imaginé en préambule mais de le faire revenir comme un leitmotiv enivrant sur l’idée du monde en perpétuel mouvement. Je proposais également à Yoann d’ajouter le passage de l’évanouissement extrait de la deuxième Rêverie du promeneur solitaire de Rousseau qui s’avérait être un de ses textes de chevet et qui faisait écho à sa recherche du fameux point de suspension.  J’ajoutais également un texte de Victor Hugo lui aussi inhumé au Panthéon, extrait des Proses philosophiques sur son observation de la lune à travers une lunette astronomique et dont les mots renvoient directement à la dimension cosmique du film.
Je ne m’arrêtais pas là, et proposais de créer un dialogue entre un homme et une femme incarnée par Yoann et par moi décidant de lui murmurer comme à l’oreille les paroles traduites des lieder de Schubert qui accompagnent le film du début à la fin, ajoutant une dimension amoureuse au film.
Chanson triste, mon film suivant qui raconte une histoire entre une chanteuse lyrique et un réfugié afghan est lui aussi porté par une voix-off continue.
 
 
Vous avez étudié le chant lyrique parallèlement le cinéma. Est-ce que cette expérience musicale influence sur vos films ?
 
La musique est primordiale dans mon approche cinématographique ; j’aime autant la musique que le cinéma, et ne peut pas envisager de faire un film sans elle ! Un jour j’espère réussir à faire une vraie comédie musicale, chantée du début à la fin, comme dans Les parapluies de Cherbourg.
 
 
Au vu de vos travaux, tels que Les grands fantômes et les deux films présentés à cette édition, vous n’avez pas seulement regardé le corps des danseurs, mais vous avez capturé aussi l’espace qui l'entoure de manière soigneuse. Ce qui est le plus caractéristique, c’est le plan éloigné (wide shot) dans lequel un petit corps se place dans un grand espace. Comment saisissez-vous la relation entre l’espace et le corps ?
 
Ce sont effectivement des questionnements qui nous ont animés autant avec Julie qu’avec Yoann. Et à l’intérieur de ce bâtiment monumentale et charge d’histoire qu’est le Panthéon, on avait effectivement le loisir de montrer la petitesse de l’homme à l’échelle du monde et de l’humanité. Ce tournage contrairement à celui de la Villeneuve a été assez pesant pour moi, je pense que je me sentais justement écrasée par l’aspect gigantesque de son décor, écrasant, lourd. Heureusement cela ne se ressent pas dans le film, qui parait être tout en apesanteur.
 
 
En parlant de Grenoble, nous nous rappelons un documentaire sur les Jeux Olympiques en 1968, 13 jours en France. Compte tenu de cette histoire, le titre Après un rêve semble suggérer « après les JO » pour cette ville. Est-ce que le film de Claude Lelouch a une influence sur votre travail ? Comment en êtes-vous venu à créer ce film ?
 
Avant que vous m’en parliez, je ne connaissais absolument pas l’existence de ce film, et vais m’empresser de le voir ! J’ai vu qu’il avait non seulement été réalisé par Claude Lelouch mais aussi par de nombreux cinéastes intéressants, notamment Guy Gilles.
C’est moi qui ai donné au film son titre Après un rêve alors que le projet de Julie s’intitulait Autour du Parc.
Un titre en hommage à une mélodie de Gabriel Fauré que j’adore, et que j’ai intégrée dans le film dans une version instrumentale. Le titre me semblait très cohérent par rapport à toute l’histoire du projet de Julie basé sur les souvenirs des architectes et paysagistes désireux à l’époque de créer un lieu rêvé où des gens de toute origine sociale et raciale pourraient vivre en harmonie ;
Après un rêve, car ce rêve a réellement existé mais s’est ensuite évaporé.
Après un rêve aussi comme un espoir qu’un autre rêve soit possible un jour.