Yukio Saegusa

サエグサユキオ

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サエグサユキオ
パフォーマー/コンポーザー

最近、ひとりでいると、ふと淋しさを感じるようになりました。携帯電話を持たない友人が、ひとり減り、ふたり減り、世の中はどこかで私を、私は世界を必要としているのでしょうか。是非なく、状況で方向が定まる不明な世界に共存したいがための、営為。自身を用い、過去とは異質な自身の響きに合わせて変化してゆく、行為。

Q:実は私が知っているサエグサユキオさんは2つの顔があります。1つは劇場の音響さん。もう1つは演劇でもダンスでもないまさにパフォーマンスをするユキオさん。私が知ったのは音響さんとしてのユキオさんの方が先だったので、アサヒアートスクウェアで開催しているマムシュカに参加してたユキオさんのパフォーマンスを見た時の衝撃度はかなり大きかったです。さっきまでぽわーっとした普通のおっさんが突然コンテンポラリーな事をやり始めて。今まで感じた事のない世界観だったんです。そこで今回のインタビューではパフォーマーとしてのサエグサユキオの生態を暴いていこうと思います。最近は、黒沢美香さんの作品に参加したり、青山るり子さんと作品を発表したりパフォーマーとしての活躍が多いようですが、自分の身体を使って表現活動をするようになった経緯を教えてください。

(サエグサユキオ:以下 サ)元々パフォーマンスがしたかったわけではないんです。手に職をつけようと思って、版画刷り師になるために美学校に行ったのですがその学校にいた、その辺にいた人々とバンドを組んで、ライブハウスとか野外とかでやり始めて、それがだんだん演奏行為から逸脱していってペンキをかぶったりとか、ビー玉投げたりとか・・・ビンを割り続けたりとか・・・わたしは基本的にちゃんと演奏してましたね。そういったのをやり始めたのは他のメンバーです。なぜ、そういう事をやりはじめたかはわからないけど、もともとみんな何かをやりたがっていた気がします。それが最初ですね。

Q:まさか伝説の美学校出身とは知りませんでした。笠井叡や赤瀬川原平やら小杉武久やら蒼々たるメンバーが講師だったり、出身者もパンチのある人が多いですよね。なるほど、そんな影響を少なからず受けた生徒達でそういった活動があるのもきっと必然ですよね。時代背景的にもそういった現代美術とかが流行っていたりしたんですか?

DSC00021.JPGサ:70年の終わりから80年前半ですかね。そのころ、法政のロックとか、神大の怪しいオールナイトライブとかよくやってた頃ですね。時代背景的にも現代美術とか紹介されるようになってローリー・アンダーソンとかヨゼフ・ボーイスとか出てきましたね。演奏もちゃんとやってましたよ。私は独学でサックスを覚えて。曲もオリジナルで、オルタネイティブ・ロックとか80年代初期、ノイズとかフリーミュージックとかからんでた。で、ライブハウスとかだとタイバンとかあるんですけど、演奏が始まると勝手にパフォーマンスが始まるんですね。でも結構回りにもそういう事している人達がいたかも。まぁアンダーグウンドの音楽で割とそういう感じがあった気がする。


Q:美学校は講師が”ど”パンクなアーティストばかりだし、そこで社会性を身につけるとは、なんだか真逆な気がしますね。卒業してからもパフォーマンスを続けてたんですね?


サ:そうです。そろそろまじめにやろうかなーと思って美学校に入ったんだけど刷り師にならずにずっとパフォーマンスを続けてたんですね。たらたらと。
フリーターしながら。たらたらと。若かったから自分の表現をしたかったのかな。そうそう、バンドをやってそのあとパフォーマンスユニットを組んだんですよ。80年代後半かな。「現場の力」というユニットをほそぼそとやってたんですけど。「現場の力」で何やってたかな・・・うーん。踊りみたいな作品もありましたよ。ふんどしで、恥ずかしい格好なんですけどね。ニパフにも参加してましたね。まぁ最初は「現場の力」で参加してたんですけど。そのうちそれぞれソロで出るようになったんです。ソロでやるようになって、自分のパフォーマンスの方向性が固まってきたんですね。

Q:舞台にいるユキオさんは、とても自然で日常的なんですが、なぜか非日常的に見えます。舞台に立った時のユキオさんは何が見えて何を感じてどんな世界観を作り出そうとしているんですか??

サ:まぁ・・・私がそこにいて、何か見えてるものを観客と共有できないか。けど何も起こらないかもしれないし、起こるかもしれないんです。私が基本的にそこにいる。自分がその場にいる。別に演じるでもないダンスするわけでもなく。居る事の真実みたいな所かな。

Q:ユキオさんの作品で、舞台に出てきてずっと立っているパフォーマンスがありますよね。とにかく立っていて動くわけでもしゃべるわけでもないですよね。あの作品の制作過程を教えて下さい。

サ:なにか真実でできる事はなにか。と考えた時に何もないところで身ひとつでやる。その空間にポンと出された時にその人がなにができるのか。それは持ち芸をやるとかじゃなくて。その場合1番やりやすいのは生い立ちを話すだけど。
でもそれじゃあねってね。それはナシで。まぁそこでなにが発明できるかって。なにか表現をつくりたいという意思をもって舞台に立つのだけれど用意してったものをやるんじゃなくて、その場で発明していく。でも用意しちゃうんだよね。。。
それで何度かやったのが見つめるというやつ。ただずっと見つめているんです。お客さんで誰かいい人いないかなって。それでいい人いたらずっと見つめているんです。このパフォーマンスは「発明」というより「状況」が生まれたかな。お客さんは最初は何かやるのかなって観てるんですけど、結局なにもやりませんから飽きたり嫌がったりする人もいますよ。みんな嫌がってるなー、あーみんな飽きてるよーって感じます。けど、まぁいいやーって。まぁ、やばいけどしょうがないと思いますね。この状況をなんとかしたいとか、しなければとか、そういう発想が生まれる時もありますよ。それがかなり好きなんです。前もって想像しなかった行動ができてしまったというね。舞台上でのリノベーションですね。


Q:ユキオさんの見せたい世界観がお客さんに充分伝わってるかどうか・・・。

DSC00014.JPGサ:そうですね。アイディアを使って発明するけどその完成品を見せるのではなくて、その場でつくるところが見せたいんだけど実験的だからほんといいものができるかわかんないし、アートとして売りにくいし、見に来るお客さんがハズレと感じる可能性も高い。ハズレでもおもしろいなって感じてくれる事をしたいですね。そういったものを見せるのに、奇を衒ったりしてるわけではないですが人の真似事はやりたくないなっていうのはありますよ。自分でも同じ事何回もやりたくないなってありますね。
舞台に立っていると、見てる人の影響ってすごく大きいんです。自分にかえってくるんですよ。お客さんは引いてるけど自分がノリノリの時とかは、こんなところで見てる人に安易に喜びを与えてやるものかと思うんですね(笑)。自分がいまいち乗らなかったなとかでは反省したりしますよ。

Q:作品をつくる時、作者は必ず作品の完成度を求めますよね。それは実験的なものであっても同じだと思うのですが。

サ:到達点ってのは特にないですね。すごい事になっちゃってるなら成功なのかもしれないけど考えた方ですよね。要するにその人がそこで何かをするんだったら失敗も成功もない行動の場合、ちょこっとしたい事が浮かんで、とりあえずこの行動を完成するんだとなります。そうやってて、今まで完成したなーっていうのはあの棒たてるやつは意外とうまくいったかな。うまくいかなかったやつもありますよー。詳細は言わないけど。

Q:youtubeにある作品ですね。あの作品の出発点を教えていただけますか?

サ:場所は横浜球場の近くなんです。私が高校の頃、平和球場があったんですよ。私、高校の時ラグビー部にいて、夏の高校野球シーズンになると昔部室を借りてたもんで応援団として活動しなくちゃいけなかったんですよ。その時私は旗持ちだったんですよ。そのイメージです。なぜかな・・・場所を見てここでやろうと思ったんですね。その時は、その平和球場の近くという思い出のイメージで棒を持ちたかったんですね。

Q:なんで交差点?

サ:空間的によかったんですね。立つのに。他の場所じゃ考えられなかった。それで信号がかわるたびに4方向やったんだけど、それがちょうど野球のあれみたいで。


Q:なんで旗はついていないのですか?

サ:旗がつくと交通傷害になるし、旗が着くとはたとしかみえない気がして。あれはアンテナの試験用のポールなんだけど。

Q:パフォーマンスのタイトルってあるんですか?

サ:あっ考えてないですね。

Q:通常の演劇のシナリオのような「起承転結」というものがない作品が多いようなのですが、それはなぜでしょう?

サ:自分の中にかえってくるんですよね。人から受けるんじゃなくて、そういう状況に置いて、自分が回っていくようなね。実はよくわかんないんですよ、ダンスって。あっ、こういう事言うと営業に支障がでますかね(笑)。人の作品みる時、ダンスとかは、その人の踊りがどうっていうよりも瞑想の世界にはいって行くんですよね。それを評価するんじゃなくて、それで自分は何を感じるかってことかな。そういう意味では現代音楽とか昔好きだったな。今なんかつまんないけど。

Q:最近、ソロでの活動よりも黒沢美香さんの作品に参加したり、青山るり子さんと一緒に作品を発表したり、コラボレーションの機会が多いですね。コラボレーションはとても難しい作業で予定調和なパフォーマンスになりやすかったり、お互いの良い面を潰し合う可能性が高いと思います。

DSC_0393.JPGMAMUSKA東京サ:最近、人とやるのがおもしろいです。一人だと、毎回違うアプローチで考えるんだけど、すぐその到達点にいっちゃうから。誰かいるとその場が複雑になるから・・・というか、責任が軽くなりますから。ひどいなぁ、逃げてますね。弱気だなぁ(笑)。
DSC_0765.JPG新聞少女るり子 と るるる♪結婚まで童貞を守る男達(OB可)青山さんはくだらない事を理解してくれるんですよ。作品をつくる時、話合ったりする場合もあるけど、その場で反応してもらいます。かなり放置ですね。即興ですから、その場で考えるしかないんだけど。あとは、実は人に触れたくないですね。来て触ってほしくないですねー。ほっといてほしい(笑)。空間は共有してるけど。触られちゃうと何かがわからなくなるというか。まぁー触るのもいいんですけど、どちらかと言えば嫌かな。だんだん弱くなって来てるし・・・そんな事言うと誰も触ってくれなくなっちゃうな。

Q:ユキオさんが主催の1人でもある「透視的情動」はいろんな人と絡む即興イベントですよね?

サ:そうです。私が友達と年末に透視的情動というイベントをやってまして・・・。出てくるまで出演者は誰と何するかわからない。やーなイベントなんですよ。結構プレッシャー高いんですよ。もう生ぬるいことはやめようってね。

Q:そこで黒沢美香さんと会ったんですね。

サ:そうです。「透視的情動」に出演して貰いました。それから美香さんの「ロンリーウーマン」という作品に出演を頼まれて出て、ちょっと前から黒沢美香さんの音を作ったりしてます。
でも、ダンスって基本的に音無しでいいと思うんですよ。まぁ、あってもおもしろいんだけど。美香さんとか結構いらないような気がするし。まぁ、あればあったで違う面をみせてくれますが。いや、確信をもっていらないかな。必然性があまり感じられない、かな。無い方がもっとその人に迫れるんじゃないか。イメージを膨らませる段階ではいいんですけど、それをかけて踊ってる。みたいな。なくても音が見えるぐらいに。なくてもうまくなくても音がみえるんじゃないかな。あーこうするとまた仕事がー(笑)。
音が必然としてあって踊るものもありますけどね。バレエとか。無音のバレエとかみてみたいですね。

Q:ユキオさんの舞台は空間、感覚、身体がアーティスティックに舞台で交錯していてこの”ナマ感”は、稀有だと思います。ひどく私的な感じなのに決してブログ的でないんですね。何か常に自分の中でテーマがあるんですか?

サ:テーマというか、すべて自分の「心のもやもや」なんです。「心をもやもや」は自分にとってパフォーマンスが表現しやすい。うきうきの場合もあるけどね。舞台になった時、とりあえず自分に素直になる事が大事。人が見てる状況になると、素直な自分に何か力を与えてくれるんじゃないかしら。

サエグサユキオのパフォーマンスが見たい方へ  
2009年8月30日(日)昼開催「自由即興フェスタ2009」(新宿PIT IINN)に参加します。是非、ご覧下さい。