インタビュー #3
音楽:西松布咏 三味線、唄。遠くのものを引き寄せること。

DSC_0109.JPG撮影:JCDN<音楽:西松布咏>×<ダンス:寺田みさこ>×<作・演出・映像:飯名尚人>の「アジール」。京都:初音館スタジオと黒谷・永運寺でのリハーサルを終え、音楽について語って頂いた。

インタビュー収録:2011年2月21日@京都 初音館スタジオ
聞き手:飯名尚人
収録:水野立子(JCDN)
テキスト聞き起こし:川那辺香乃

まず縁切寺の話から。西松さんの演奏を群馬県の満徳寺(縁切寺)で聴きましたが、西松さんの唄われている江戸唄とあの縁切寺という場所は、意味がリンクしているような気がしました。

 縁切寺は、男から逃げ出してきた、という場所ですね。私が唄っている歌は、女性の気持ちというかそういうものがほとんどなんです。女性の気持ちって言っても、本当に幸せな女性じゃなくて苦しい思いをしてたりつらい思いをしてたりっていうような女性の心持ちを唄った唄だから、そういう意味においてはとても縁のある場所でした。

江戸唄や地唄というのは、1曲が1分半とか2分とか短いので、沢山の曲を演奏しますよね。選曲が大変ですね。

 演奏するときは、バラエティーというか、聴く方たちが面白く聴けるようにと思って、それを企画したり構成したりする時がすごく楽しいんですね。今回は「どういう風な構成でいこうか」とかね、そういうのがすごく楽しみで。それでちょっとものの本をめくったりしているときが一番楽しんですよね。そうするともう1回その歌に出会える。今まで何気なく歌っていたものが自分の方に近づいてきます。それをまた皆さんに聴いていただける。そのひとときがすごく楽しいです。

楽譜ってあるんですか?

 譜面にあるものもありますけども、例えば地唄なんかは譜面がないんですよね。だから先生が唄ったものをテープに録っていただいて、それを耳で聞きながら譜面に起こして、そしてその譜面を元に唄いこんでから先生に聞いて頂くっていう、本当に手作りの方法なんです。

ところで、西松さんはどういう風にして、三味線や唄を始めたのでしょうか?それから西松流というのは?

DSC_0039.jpg撮影:JCDN 私は師匠がいっぱいいて、一番最初はなにしろ6才の時。お稽古事をしようっていう時に、近所に長唄のお師匠さんがいたので手ほどきをしていただいて、それからだんだんやっていくうちに今度はうちのおばが小唄の師匠してたんですよね。それで、私に小唄をやらないかって勧めてくださったんです。それで小唄の作詞作曲の講座を開いてるから行かないかって言われて、私は多少なりとも自分が作ったものが曲になって、それを唄えたらいいなって思ってたから、参加してみたんです。そしたらその先生が富本節っていう古曲の豊後浄瑠璃といって、関西の浄瑠璃ですよね。清元とか常磐津とかがあるけど、それよりもっと、その原点となるような富本節っていうものを教えてる先生でした。

 その頃私は30代だったかな。そういうものをやってる若い人はいないから、その先生にぜひ勉強して欲しいって言われて富本節を勉強するようになりました。そこに地唄舞の先生がいらして、私のこの声が地唄に向いてるんじゃないかって言われて、西松文一という地唄の先生に引き合わせてくださいました。
 その西松文一先生は目の見えない人でしたが、「この人だったら教えていい、教えたい」と言ってくださって、ここで最後の師匠に出会いました。

 折々にそういう師匠に出会った、ということですよね。私はなんでもやってみよう、やってみたいっていう思いが強いんですよね。だから出会うたびにやるようになって。そういう意味では恵まれていたし、いろんなジャンルの三味線音楽を勉強する機会に恵まれたってことですね。


西松さんは、舞踏や現代詩とか、様々なジャンルとのコラボレーションがありますね。いろいろな師匠に出会ったことの影響もありますか?

 方法はそうですね。いろんな先生についたっていうのも、自分が未知の世界、そういうものを知りたいっていう、本来持ってる性格みたいなものが起因しています。師匠だけじゃなくて友達との出会いとか、違うジャンルの方との働きかけとか、そういうものがあったときに「できるかな、でもやってみようかな」っていう性格がいろんなものに結びつけていったのかも。「まずやってみて、やりながら考えればいいじゃない?」って感じかしら。若いときは本当に「なんでもやってみよう」っていう生き方をしたいと思っていたものですから。

クラシック音楽とのセッションもされていますよね。エリック・サティの曲と三味線のセッションでしたよね。

DSC_0047.JPG撮影:JCDN エリック・サティのピアノを弾いてるピアニスト島田璃里さんが、私と一緒にやってみたいってことになって。詩人の藤富保男さんが紹介してくださったんです。それまではエリック・サティという人のことは知らなかったんです。島田璃里さんは妖精みたいな人でした。サティの「ヴェクサシオン」という曲で演奏をしました。
 「ヴェクサシオン」は同じフレーズの繰り返しなんですね。だから背景というか、家具のような音楽って言われてるんですね、サティって。邪魔にならないというか。それを浄瑠璃の背景音楽として使ってみたらどうかしらということで、試みたことがあるんですよね、近松門左衛門の物語を取り入れて。 
 サティは同じようなフレーズを延々と繰り返すんですよね。そこに私が帯屋っていう江戸時代の、夫が若い女性にうつつをぬかしちゃってっていうようなね。それで何とかその夫の気持ちを取り戻したいっていう女房の話なんですけどね。女房の気持ちだけを歌っているものだったので、いろんな苛立ちがあったり、私を捨てないでっていうようなところもあるし、様々な女の内面的なものも表現してたものだから、それを感情のない背景音楽の中にそれを取り入れたらどうだろう、と。そういうことをやってみたこともあるんですけど。


おもしろいコラボレーションですね。繰り返しのピアノをバックに三味線と唄の演奏というのは、かなり実験的です。サティと三味線のセッションは成功しましたか?

 時には合うし、ときには遊離するっていうものでしたね。お客様にとっては「ピアノが邪魔だった」っておっしゃる方もいたり。新しい試みとしてはいろいろ批判もされましたよ。
その中でいろいろ意見を聞きながら、やっぱり古典ってすごいなと改めて思うんですよね。ただ思い込むっていうのは好きじゃないんです。「古典は素晴らしい」っていうのは、いろんなことやってみて自分がどう思うかっていう、そういう生き方をしたいといつもいつも思ってたもんだから、そうやって冒険したり、「本当はだめかもしれないけど、でもやってみたらもしかしたら」っていうことを繰り返しながら、でもやっぱり古典ってすごい、時代を経てきたものってすごいなあと、ようやくこの歳になってみて古典に勝るものはないと思うようになりました。

古典だけでなく、オリジナルの作曲作品もありますよね。古典を参考にして作るのですか?

 自分がつくる時はあまり古いものを参考にとは思わないですね。っていうかもう最初からかなわないって思ってますから、違うものを作りたいなって。古典では表現できないって言ったらおこがましいけど、古典にはないようなリズムだとか言葉だとか、そういうもので作れるかしらっていう感じですよね。古典と同じようなものなんてとても作れるとは思わないものですから。

以前、演奏会で、即興で唄ったことがありましたよね。僕が拝見したのは、白石かずこさんの詩を即興で唄っておられました。即興というものをどう考えていますか?

DSC_0141.JPG撮影:JCDN 実は私、即興というのは、とても自分にそぐわないと思っているんですよね。私は自分の中で悩み苦しみながらにじみ出たものが表現っていう風に思ってる方だから、即興っていうのはとてもできないんです。でも私の友人・詩人たちは繰り返しやっていることじゃないものの良さを私の中から引き出したいって風に思っていたらしく「今まで培ったものが出ればいいんだから、そんなに真面目に、間違えないようにって考えなくていいんじゃないか」と。「考えないものをやってみたら」って言われて。それでそう言われると「そうかしら、やってみようかしら」なんて思って。それで白石かずこさんの詩を即興で唄うというのをやったんです。もう本当にやめようと思ったくらいできなかったですね。あれはもう本当に敗れかぶれでやったんですよね。


でも、三味線と唄の演奏というのは、毎回毎回の即興性があるような印象を受けます。

 ここのところ、日本のものは約束事で固められちゃって、融通性もないしっていう風に言われているし、私自身も思ってたけど、それはそうじゃなくて、ある程度の形を把握したあとは、かえって自分なりの表現ができないと面白くないですよね。皆同じってことはありえないことだし。だから私は今若い人たちにも教えているんですけど、ある程度基本的なものが把握できたら、あなたたちの「間合い」で思うように唄っていいのよと言うんですね。でもやっぱり半端な間合いとか、基本的なものが把握できなければ表現というのは出来ないですよね。だからそこまではきっちりと表現できなければっていうところで教えます。その人なりの声の質もあるし、感性の違いもありますし、だからその後は自由にやっていいのよ、と教えます。
 私自身も、ようやくここのところで、古典、形あるものの面白さっていうのかしらね、何もないところから作っていくんじゃなくって、あるものをどうやって壊すっていうんじゃないですけど、遠くにあったものを引き寄せるって言うんでしょうかね。自分のものを自分の世界に引き寄せるっていうか。それがすごく今面白くなってきて、ようやく。もう半世紀以上この音楽をやってて、こう引き寄せられるようになってきつつあるかしらっていうようなところですね。自分自身も今日はどんな風に歌えるかしらみたいな面白さとか楽しさを、今までは人前で唄うっていうことは本当に怖かったんですけど、なんかここのところ少し解き放たれてきました。古典の唄が自分の中で解き放たれてきて、遠かったものが少しずつ近づいてきたのかな。

続く #4





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