インタビュー #5
振付・出演:寺田みさこ 今まで眠っていた何かが出てくる

草本利枝.jpg

撮影:草本利枝

<音楽:西松布咏>×<ダンス:寺田みさこ>×<作・演出・映像:飯名尚人>の「アジール」。京都:初音館スタジオと黒谷・永運寺でのリハーサルを終え、振付家、ダンサーとしての両方の役割の中で、今回の作品製作について語って頂いた。

インタビュー収録:2011年2月21日@京都 初音館スタジオ
聞き手:飯名尚人
収録:水野立子(JCDN)
テキスト聞き起こし:川那辺香乃

この3日間(2010年11月28日~30日)、初めてのスタジオリハーサル、コラボレーションについて、どうでしたか?

_MG_4402CR2.JPG写真:清水俊洋 異ジャンルの人同士で何かやるっていうときに、互いの領域に踏み込める部分と踏み込めない部分があると思うんですね。コラボレーション作品を見に行った時には、お互いがどの辺りにどういった踏み込み方をしてるかに注目してしまうのですが、なかなか面白いと思えるものに出会えない感じがしています。
でも、今回の場合はむしろ、コラボレーションというよりは、まず飯名さんの作・演出ってことがあるので、飯名さんがいろんな素材を使って一つの作品を作る方向に向かおうとしていると思っています。その辺のお互いの役割の話は飯名さんと私の間では、了解できてるんじゃないかなって感じます。飯名さんはもともと映像の人で、私の印象としては映像作品というのは編集がポイントなんじゃないかと思うところがあるんですね。
過去に私が映像作品に出演した経験の中でも、撮影自体はかなり淡々と終わっていって、「これでいいのかな?」なんて思っていたら、編集の手が入った後に見てみると、私の想像していたものを遥かに超えている訳ですよ。なので、今回の場合は、飯名さんが西松さんと私が出してき素材に、どういうふうに編集をかけてくるのかがが楽しみなところですよね。
フィルムとかデータじゃなくて生モノなんで、扱いが難しいと思いますけど・・・。


今回は邦楽との作品作りになりますね。ライブの演奏ですから、その場その場でまた違う即興性があると思います。

草本利枝2.jpg撮影:草本利枝 ダンサーとしてライブでパフォーマンスをする時に、常に何かとの関係の中で動きがあると思うんです。それが空間なのか、音楽なのか、人なのかっていうのはいろいろあるけれど、そこで何かが起こる。もちろん生演奏が舞台上にあると、ある種のセッションが起こるわけですから、その場で何かが起こりますよね。そもそも即興ということを考える時に、私の場合は<何をするか>っていうことの前に、<どうなるか>っていうことの方にまず興味があります。
「こんな状態になっちゃった」っていうものをしっかりと受け止めた先にしか、次の行動は決断出来ないだろうと・・・。
以前とある先輩ダンサーに稽古中に言われたんですが、「あなた明日も生きてると思ってるんじゃないの?」と。これは、別の言い方をすると、次の一手を考えずに今を生きろと。この経験から私は<次の一手がやって来るまで待つ>ということも学びました。そのような状態が、今のところ私が知っている限りにおいて最もクリアな<即興性を引き受けた身体の状態>なんですね。ただ、いまの私は、振付なりルールをある程度決めておかないと、とてもじゃないけどこの身体の状態にはなれないと思っています。だから、自分が踊る上では完全即興的なことには余り興味が持てないんですよ、今のところは。上滑りするのが目に見えてますからね。
今回のように明確に作品があった上で、更にライブ感を生かせるというのは興味深いと思います。また、西松さんの音楽、三味線・唄であったり、飯名さんとのクリエーションも初めてだし、新しい出会いの中で自分のなかに今まで眠っていた何かが出てくるんじゃないかと期待しています。


演出の中で、みさこさんにも台詞がありますが、言葉とダンスの関係というのは、どういうことなのでしょうか。

_MG_4568CR2.JPG写真:清水俊洋まず、この問いにうまく答えられる自信がありません。
とても厄介で、どうしても無視できないという感じがしています。今までに作品の中でテキストを使ったこともあります。ただ、言葉やテキストを都合よくダンスの方に引き寄せるようなことなんですけどね。目指したいのは言葉とダンスが共存するということでしょうか。どうやって同じ空間に共存できるのか。いまやっているダンスは、例えばバレエやモダンダンスのようにストーリーを追っていくことじゃないものですから、踊ることは、それは私自身、言葉の意味から逃れようとしている行為でもあるっていう感じはあります。
だから、逃れようとする「言葉」というものが何なのか、どういう距離感が作れるのか、ということを今は考えています。

今回、西松さんの音楽には、歌詞がありますよね。

_MG_4701CR2.JPG写真:清水俊洋 西松さんから歌詞の解説を聞いていて、例えば唄の中で「鳥がこういうものに例えられていて・・・」とか、そういう解説を聞くと、ダンスと近いものを感じます。というのも、一つの言葉がいろんな方向に広がっていこうとする力を持っている。そういった言葉が選ばれていることに興味を持ちました。最初に水野さんから西松さんのCDをもらった時に、江戸唄とかに関する知識が全くないが故の大胆さで、「歌なしっていうわけにはいきませんかね?」なんて言ってたんですよ。邦楽の歌詞は、全ての情景が見てくるような説明的なものではないけれど、やっぱり「言葉」が強いなあっていう印象を持っていました。言葉と身体を同時に舞台に乗せた時に、いとも簡単に身体が言葉の風景に見えてしまうことに対する恐れはありますね。


コンテンポラリーダンスと、邦楽では、お客さんの層が少し違いますよね。今回は、おそらくどちらのお客さんも観に来てくれると思うのですけども、みさこさんは舞台に立つときに、お客さんってどういう風に見えますか?特に、今回の作品は、お寺での公演をしようとしていたり、舞台とお客さんの距離がすごく近いんですが。

 私は「お客さん」を想定しようとする時に、どれくらい自分から遠い人を想定できるか、ということを考えます。と言ってもその遠さにもいろいろある。単純に時間や距離っていうこともあれば、年齢や性別ということも。放っておくといつの間にか、近い人をよく想定してしまいがちなんで、その度に「お客さんって誰のことよ?」って1人ツッコミしてます。
 結局、何を見たいのか、自分に向って問いかけたときに、それはある距離をジャンプ出来る力を持ったものじゃないかなと。





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