2013 第8回DMJ国際ダンス映画祭

上映作品 全10作品
2013年5月29日(水) 〜 30日(木)



2013年5月29日(水) 19時30分 〜 21時00分 上映(10作品 全80分)
2013年5月30日(木) 19時00分 〜 20時30分 上映(10作品 全80分)
*両日とも同じ10作品の上映です。
入場料:800円

上映作品

エントリー総数82作品から、10作品を選んでの上映となります。
選者・コメント:飯名尚人(国際ダンス映画祭主宰者)

*上映順ではありません



Borders

分数 13分11秒
国 イギリス、オランダ
振付 編集 ダンサー Manou Koreman 
撮影 コラボレーター Sebshan Hinds

キュレーター・コメント

森の中で女の子が肌を手で擦る音と、砂浜で砂の層が徐々に崩れていることは、繋がりがないようで繋がりがある。シンプルな作品であると同時に、これは「ダンサー感覚」の映像作品だと思った。実はこのところこういったダンサー感覚による映像作品が少なくなってしまった。映像作家がダンスに興味を持ってくれる時代にもなってきており、これまでにない映像のクオリティーでダンス映画が生まれはじめた。一方で映像作家がダンサーを使って作品を作るとき、ダンサー感覚の映像は生まれにくい。映像とダンスが、どことなく遠い関係で作品が作られてしまうのである。僕自身もダンサーではないから、ダンサーが作る映像に確実にある「ダンサー感覚」というものに魅力を感じることが多い。ダンスというものは、何かちょっとした感覚のことを必死に探り、あるいは一生を使って探求する。肌に風があたる、という些細な感覚、感触を大切な出来事として作品にしていく。その作業は、詩的である。この作品にはそういったダンサー感覚を感じることが出来る。森のシーンはカラーリングが印象的である。このカラーリングがこの作品をフィクションにしてくれていて、日記的作品ではあるものの客観的な視線を許してくれている。8mmフィルム的な色合いと画質もまた「ダンサー感覚」とフィットする。(Text:飯名)






Neang Neak (Serpent Goddess)
蛇の女神

分数 3分50秒
制作年 2012年
国 カンボジア
監督 Masahiro Sugano
振付 Sophiline Cheam Shapiro
作曲 Khmer Arts Ensemble
編集 Masahiro Sugano
ダンサー Keo Kuntearom
プロデューサー Anida Yoeu Ali & John Shapiro

解説
In choreographer Sophiline Cheam Shapiro’s Cambodian classical dance Neang Neak, a serpent goddess arrives on earth to live among humans. Director Masahiro Sugano’s experimental film opens a new window onto this modern day metaphor for displacement and the journey to self-discovery by juxtaposing contemporary and ancient storytelling techniques. With a title role performance by Keo Kuntearom, this collaboration between dance makers Khmer Arts and media makers Studio Revolt reflects Cambodian culture’s ever-evolving relationship between tradition and the new and demonstrates how highly stylized, culturally specific art can be universally relevant.

Website
www.studio-revolt.com

キュレーター・コメント

作品タイトルは「大蛇の女神」と訳せばいいのか、カンボジアの伝統的な舞踊のフォルムなのだろうか、興味深い踊りである。民族舞踊が決して古くさいものではないというのは周知の通りである。カンボジアではポルポト政権下において芸能活動は禁止されていたそうで、その後その文化も復興してきたようだ。邦楽も同じくして天保の改革で三味線音楽が贅沢品として禁止され、復帰後、時代にあったスタイルにアレンジされて小唄端唄という短い楽曲が成立する。どの国にも、政治社会の動向によって文化芸能が制限され、折りをみて復興される。カンボジアの舞踊史について何も知らないけれども、一度道を断たれた芸能が芸術家たちの尽力の結果復活を遂げるのであり、生命力がある。
この作品はそんな難しい文化背景を描いているわけではなく、非常にポップで、現代美術的な、あるいはミュージックビデオ的な映像デザインと、このカンボジア舞踊がなにしろカラフルにミックスされていく。80年代、ビデオアートや日本のミュージックビデオというのは、なかなかのサイケデリックさを持っていた。多様されるエフェクトは万華鏡のようにグルグルとして、様々な色がマーブル模様のように溶けてはミックスされ、目が回るようなトリップ感というものを醸し出していたと思う。この作品にそのような古くさいエフェクト処理はないけれども、このカラフルさを現代的と捉えるのもまた違うことかもしれない。というのは、古い寺院に行くと色あせて古びた仏像や壁画などがある。それは当時、めちゃくちゃカラフルで、トリップ感丸出しであったと思う。色あせずに残った西洋のステンドグラスをみればその色彩のアッパーさの想像がつきやすい。日常的ではない、相当なカラーリングである。この作品のカラフルさは、もしかすると当時の宮廷舞踊のキラビやかさの印象そのままを、現代的感覚として取り入れた結果なのかもしれない。映像の中で踊るダンサーの衣装がそれを物語っている。(Text:飯名)






Pianoworks 13
ピアノワークス13

分数 2分18秒
国 フランス
監督 Julien Martorell
作曲 Polérik Rouvière
編集 Julien Martorell, Alex Tissot
ダンサー Hosni M'hanna, Jamal M'hanna, Sandrine Lescourant,Sulian Rios
プロデューサー Rémi Pietka
Website
www.onirim.com

解説
Pianoworks 13 is a short movie, which combines live action and motion design. On a original soundtrack played by Polerik Rouviere, four dancers perform different styles (break dance, new style, popping). The film illustrates the link between body, instrument and instrumentalist. The moves give birth to a sort of calligraphic language which is a representation of the moves themselves.

キュレーター・コメント

ブレイクダンス特有の美しさというのがある。この映像に登場する傘とダンサーの対比は、それを端的に示している。人と物は違う、のだが、この作品において人と物が同一であるからこそ、その人間という造形物の美しさが際立つ。「人と物を一緒にしてはいけません!」と道徳の授業で教わった記憶はあるけれど、この作品では良い意味で、人と物は同じなのである。風景と人との対比や融合を狙った静的な作品も多くあったが、この作品が特に秀でていたのは、人と物を動的に捉えていた点である。躍動感のある傘、というのを観た気がしたのである。
ブレイクダンスというのは直線的なダンスかと思っていたけれど、むしろ曲線なのだなと理解した。ブレイクダンスだけでなく、ニュースタイル、ポッピングというまた別のスタイルのダンスも登場してくる。この作品を観るとブレイクダンスというのはもうとっくに「芸術」となって存在しているのだなと気がつく。オペラとかバレエみたいに。(Text:飯名)





TWO
トゥー

分数 7分
制作年 2012年
国 カナダ
監督 Elif IşıkoÅNzlü
振付 Marie Francier Forcier, Elif IşıkoÅNzlü
作曲 J.S. Bach, Njo Kong Kie, Daniel Pellerin
編集 Caroline Christie
ダンサー Elif IşıkoÅNzlü
プロデューサー ONTARIO ARTS COUNCIL

Website
http://elifisikozlu.com/Etude-IV-TWO

解説
TWO concludes ETUDES, a series of four short films, with a return to the character in the blue dress and her piano. Featuring an original interpretation of Liszt's piano transcription of J.S. Bach's Fugue BWV 543 in A minor by pianist Njo Kong Kie, TWO’s score, edited by the director, re-visits Bach and the irrepressible pull of the piano keyboard.

キュレーター・コメント

ダンスの伴奏といえばピアノである。壊れたピアノを目にすれば誰しも「かつてどんな音がしたのだろう」「どんな人がどんな曲を弾き、そんな人たちが鑑賞したのだろう」と思うに違いない。ピアノはそういう物語を背負った楽器である。舞台の上にピアノが置かれているだけで、しばらくその風景を観ていたいと思う。この作品はピアノの伴奏で思いっきりダンスを踊っている作品ではない。ダンサーの映像が亡霊のようにピアノに重なるシーンを観ると、このダンサーがかつてこのピアノの伴奏で踊っていた人なのかもしれないと思う。それは単に観る側の勝手な想像だけれど、ダンスというよりピアノが主役のこの映像作品を見終わると、不思議とダンス作品を見終わったような感覚が残る。「このピアノの隣で踊っていた誰か」というのを想像することで成立するダンス映画作品と言える。僕がダンス作品で観たいのは単に圧倒的な身体性ではなく、ダンスによって作られる余韻や時間の深さ、ダンサーによって作られる空気感のようなものかもしれない。(Text:飯名)





American Overture
アメリカ序曲

分数 6分15秒
制作年 2012年
国 アメリカ
監督 John T. Williams
振付 Shannon Roberts
作曲 Maruice Ravel
編集 John T. Williams
ダンサー Shannon Roberts, Luke Willis and Ommi Pipith
プロデューサー John T. Williams
解説
"American Overture" celebrates American diversity, culture, freedom, art, innovation and equality set in a collage of iconic surreal imagery. Written, Produced and Directed by award winning filmmaker John T. Williams. Choreography by Shannon Roberts with performances by San Francisco Ballet dancers Shannon Roberts, Luke Willis and Ommi Pipith

キュレーター・コメント

タイトルを訳すとしたら「アメリカ風序曲」であろうか。アメリカの歴史がデザインされていく舞台美術の中でバレエを踊る姿は、アメリカに対する祝辞であると解説には書かれている。横切る飛行船にYahooやgoogleといった名だたる企業のロゴが描かれているシーンはなぜだか笑ってしまう。
アメリカと言う国は移民の集合体であると思う。専門的なことはよくわからないけれども、先だって映画「ゴッドファーザー2」を観たところ、イタリア移民の歴史というのが色濃く描かれていた。船に乗ってアメリカにやってきたイタリア移民たちが自由の女神をみるシーンはこの家族の歴史の始まりとも言える。イタリアだけではない、ユダヤ系、ドイツ系、中国系、アフリカ系、アイルランド系、様々な系譜を持った民族の集合体がアメリカ合衆国である。アメリカの自由さ、というのはそこにあると思う。もちろんその自由さ故の悲劇も多いわけだけれど。いろいろな文化、文明、言語が集って出来た国の歴史をわずか6分で描くこのダンスビデオは、ポップで楽しいデザインの中で一気に流れていく。作品からは皮肉めいたものは感じない。この軽妙さが自由の国アメリカなのだと思う。(Text:飯名)






Nocturn
夜想曲

分数 3分58秒
制作年 2012年
国 ドイツ
監督 Kai Welf Hoyme
振付 Kai Welf Hoyme
作曲 Kai Welf Hoyme
編集 Kai Welf Hoyme
ダンサー Anika Bendel
プロデューサー Kai Welf Hoyme

解説
The experimental dancevideo deals with metamorphosis and the loss of language. The inner landscape of a woman is audio-visualized by body movement,fragments of sound and animated sequences.

キュレーター・コメント

言葉を失った体が、何を考え、何をするのか、ということを考える。内面的な作品とも言えるけれど、人がダンスを踊り、ダンス作品を作るというのはそういうことなのではないかと。言葉を失った体、というのはどういうことだろうか、どうやって表現できるだろうかと考えたとき、その表現は映像的音響によって可能なのであった。ダンサーから音を無くすことは映像であれば可能である。ダンサーが動き、叫び、手を叩き、といった音全てをカットして無音にしてしまえば、その世界からは音は消えて、当然言葉も消える。人の内面もまた、映像という手法を使えば描きやすいだろう。この作品は、アニメーションで自分の分身、あるいは、自分の内面に住む誰かを描き出すことで、その内面世界を描いている。全体のトーンも、時間軸の歪んだ匿名性の強い世界を表していて、デジタルの特殊効果を使わずにそれが実現できていることは、舞台作品にも通じる「鑑賞者の想像力で補間していく見せ方」というがあって、ダンス映画のメソッドとして応用できる。わずか4分の作品である。この人が言葉を失ったままなのか、言葉をまた自分に取り戻すのか、10分、15分の作品だったら、そこまで描けるのだろうか、物語に展開した場合のこの作品の先を観てみたいと強く思う。(Text:飯名)





Après un rêve ( After a dream
夢のあとで

分数 27分
制作年 2012年
国 フランス
監督 Louise Narboni
振付 Julie Desprairies
編集 Corentin Leconte
ダンサー EliseLadoué, Barbara Carlotti
プロデューサー Nora Philippe
Website
http://www.lesfilmsdelair.com/film/apres-un-reve

解説
夢のあと
作り事ではない、ドキュメンタリーでもない、でもダンス映画である
物語はない、でも旅をしている
誰も役を演じていない、でも、生き生きとした出会いがある
この町で、一人のダンサーが魔法をかけていく

After a dream
No fiction, no documentary, but a film-dance.
No narrative but a journey.
No characters, but energies, encounters.
The body of a dancer in the city;
An attempt to re-enchantment.

キュレーター・コメント

映画の話でいえば、フランスという国でロケ撮影された映画はどうしてこうも風景がキレイなのか、と個人的に思う。街は街らしく、田舎は田舎らしく映っている。そして空気の角が丸く決してトゲトゲしていない。こういった風景の中であれば、フランス人が立っているだけでカッコいい、というのが僕の印象であって、それは「典型的なフランス好きな日本人」ということなのかもしれない。「街を歩く」という行為と風景だけで様々な映像、映画が成立しているのもフランスのロケーションが持つフォトジェニーでもある。この作品は、赤いワンピースの女性が街を歩きながら人々と出会って、そこで踊る。時に人々も踊るし、唄う。あるいはすでに唄っているところに入っていく。ダンスというものが風景に馴染んでいて、人々に馴染んでいるから、踊ることに人々はむしろ無関心であって、ワンピースの女性が踊り始めても驚きはしない。またワンピースの女性も「いきなり」は踊らない。その場やその人々との関係を作ってから踊る。だからダンスが街や人々に「ちょっと踊らせてね」と軽く挨拶しているようにも見え、心地よいのだった。ダンス(あるいは芸術)は時に人々に何かを押し付けてくることがある。現代における芸術はそういう傾向にある。「ダンスは最高なのだ、美しいのだ、社会がダンスをもっと認めるべきだ」と言わんばかりに、ダンスや芸術を街に置こうとする。芸術を無自覚に強要する。ワンピースの女性は決してそういう態度はとらないし、時には踊らずに人々に微笑むだけで立ち去る。今年はロケーション撮影の作品が多数あった。またコミュニティーダンス(特定の地域で一般の人とダンスをする)をモチーフにした作品も多かった。この作品はダントツに僕に「優しかった」のである。(Text:飯名)





Attraction
アトラクション

分数 4分53秒
制作年 2012年
国 ロシア
監督 Anna Potapova
振付 Anna Potapova
作曲 Xploding Plastix
編集 Anna Potapova
ダンサー Tanya Makerova, Igor Vlasovets
プロデューサー Anna Potapova
Website
http://www.youtube.com/user/Anna73697?feature=mhee

解説
This is a story about love ,strange love. He constantly cheats on her and she decides to kill him. They test their feelings in a deserted amusement park. Where love is struggling with offense the dance is born, because only dance can find the path of reconciliation of two loving people.

キュレーター・コメント

このローカルな古くさい遊園地に、パーティーの帰りなのか抜け出して来たのか分からない若い男と女がグデグデと居る、という設定が面白い。ディズニーランドではなく、ローカルな遊園地の遊具が「ふざけ感」を醸し出す。実際ふざけているのはこの男女2人なのだが、それ以上に遊具がふざけているのである。東京の80年代あるい90年代はじめ、そんな雰囲気が漂う。映像のカラーリングによってその雰囲気が強いのだが、おもちゃのカメラで撮影したような質感は、ロケーションと内容にしっくりくる。それにしても「目的のないカップル」というのが、どこかドラマチックに見える時代もあった。すくなくとも「目的がしっかりとあるカップル」より「目的がなんもないカップル」に物語の始まりを感じざるをえない。ふざけた遊具がピヨピヨと動いている遊園地で猫みたいにじゃれあってるうちに仲直りするカップル、なんてこともちょっとしたドラマだなと思う。トレンディードラマっぽいか。(Text:飯名)





City-Dance Project - Jerusalem " Jerusalem Balet"
エルサレムバレエ

分数 3分30秒
制作年 2012年
国 イスラエル
監督 Bettina Fainstein & Lior Har-Lev
振付 Marina Kesler, Keren Notik
作曲 Balmorhea-River Arms
編集 Lior Har-Lev
ダンサー エルサレム バレエ カンパニー
プロデューサー Bettina fainstein &Lior Har-Lev with the Jerusalem fund and Eden the company for the development of Jerusalem center

Website
http://www.youtube.com/user/CityDanceProject?feature=watch

解説
City Dance Jerusalem is a unique video dance project that brings modern dance out of performance halls and into the streets, creating a meeting point between art and everyday life in the open urban public spaces. Five short dance pieces of different choreographers shot around Jerusalem city in a special cinematic style that captures the moment of this magical encounter.

キュレーター・コメント

町中でダンスを踊っている姿を記録した作品というのは山ほどある。イヤって程ある。この作品が他とは違うのは、現代的な優雅さがある、ということだ。バレエという室内に押し込められた完璧でスキのない構造で成りたっているものが、こうして町中でリノを敷いて、普段着で踊る。ふと見上げれば、バルコニーにはジュリエット(?)がいる。現代バレエというものがもし存在するなら、なんでもかんでもコンテンポラリーダンスにしたり、現代と古典を無理にミックスせずに、そのまま現代にバレエ様式を持ち込めば良いのだと思う。いつか芝生のキレイな公園に簡単なステージを作ってバレエ公演をやってみたいと実はひそかに思っていたのだけれど、この映像に記録されているのは、まさにそんなささやかな日常のひとときにバレエをそっと置き、バレエの歴史が持つ厳つさが微塵も無い親しみやすい踊りである。映像にはそれを観る人の表情や、態度というものもささやかに記録されていて、街の光と子供の目の光は映像だからこそ可能だった表現となっている。こりゃあバレエ団のCMじゃないかー、と言う人もいるかもしれない。うむ、たしかに、、、しかしこういうCMだったら大歓迎ではないか。なぜならエゴもナルシシズムもなく、何一つ押し付けて来ないからである。なによりもダンサーたちの楽しそうな表情は、バレエ特有の優雅さを現代に置き換えた表現の特長なのではないかとも思う。もっと分かりやすく言えば、ここに映っている人々は生き生きとしている。ダンスも映画もそれが全てではないか。(Text:飯名)





City-Dance Project - Jerusalem “Kaet”
カエット

分数 6分42秒
制作年 2012年
国 イスラエル
監督 Bettina Fainstein & Lior Har-Lev
振付 Ronen Itshaki
作曲 Imanuel Witstum
編集 Lior Har-Lev
ダンサー Kaet ansamble
プロデューサー Bettina fainstein &Lior Har-Lev with the Jerusalem fund and Eden the company for the development of Jerusalem center
Website
http://www.youtube.com/user/CityDanceProject?feature=watch

解説
City Dance Jerusalem is a unique video dance project that brings modern dance out of performance halls and into the streets, creating a meeting point between art and everyday life in the open urban public spaces. Five short dance pieces of different choreographers shot around Jerusalem city in a special cinematic style that captures the moment of this magical encounter

キュレーター・コメント

前述の「エルサレムバレエ」と同じシリーズの作品。白いキッパー(男性が被る帽子)の男が町を練り歩く。不思議なダンスが繰り広げられる。音楽の重圧感が何か事件性を感じさせるが、事件は起こらない。エルサレムというロケーションが、このダンスと衣装に意味を与えざるをえないのだが、これといって宗教的政治的な何かでもない。ところが、何かそういうものを感じてしまうのは僕がイスラム文化に疎い日本人であるがゆえの誤読なのだろうと思うものの、この作品を観ていると何かジワジワとワクワクと心臓の鼓動が早くなる。不思議な感覚であり、謎のエネルギーがある作品なのである。車のヘッドライト、バーの前でタバコをふかすチョイ悪おやじ、ハプニングとして撮影しているのか、実は計画的に撮影されたのか、その線引きの度合いも面白い。「美しい誤解」という話がある。作家本人は思っても狙ってもないことが、鑑賞者にとって深読みされていき、それが作品評価を上げていくことがある、ということである。それがあまりに過剰な誤解になっていくと、作家と鑑賞者の関係は崩壊してしまうのだが、この作品が持つ曖昧さは「美しい誤解」を生み出してくれると思う。(Text:飯名)